『愛』を伝えた武将・・・新潟県「与板」より
おはようございます。
ジメジメしているこのお休みでしょうか?
また、お仕事にいかれてる方…水分補給をして下さいね‼
また、主婦の方々は…お洗濯ものが大変な状態でしょうね…お疲れ様です。
さて…
昨日の『金山』紀行…イザベラバードの説明を少しさせていただきます。
◇ イザベラバード「日本奥地紀行」 ◇
明治11年西洋人女性として、初めて東北を旅行した英国人旅行家である。
明治11年というのは、西郷隆盛の西南戦争が終わった翌年である。
東北から北海道までを日本人通訳一人を連れて、駄馬で3ヵ月かかって旅行し「日本奥地紀行」という本を書いた。
当時、長崎から江戸までの道はある程度整備されていたが日光より北は、西洋人の場合
男性ですら旅行したものは少なく、まともな街道もなく、情報も少なく、全く『未知』の土地だった。
当時、彼女は47歳である。
彼女は、ロッキー山脈を旅行した経験を本に書いている売れっ子の冒険旅行家だったのである。
とにかく「未開地」への旅が好きであった。たとえ、それがどんなに「苦しい旅」になろうとも彼女はゆくのだ。
その悲惨な旅ながらも彼女は、日本の風景を特に、山形県の内陸盆地の風景を絶賛している。
イザベラバード本人がこう残した「金山」の出来事
1878年金山を訪れたイザベラバードは、ここで長旅から足の容態が悪化し、この先雄勝峠を越えるということもあって、しばらく逗留して足の治療と養生を行った。
金山の住民は、その時新庄から医師をよびてあつく彼女に説したんです。
彼女は、西洋医学ではない、東洋医学による治療に出会ったのです。
彼女は、東洋医学に対して懐疑的であったが、それでも足が回復したことで認識を改めさらに医師の人となりや、首長を始めとする街の人びとの知識欲これまでの宿では、蚊などに悩まされていたが、宿ではその嫌な虫を避ける方法を発見したことなどを好意的に記している。
『日本の美しい日本の村景観百選』でもある金山です。。