関係性コンディショニング
「知らず知らずに誰かを傷つけているかもしれない」という気づき
ある夜、辞書をテーマにしたドラマを観ていたとき、胸に残るセリフに出会いました。「辞書にある言葉に、いらないものはない。どんな言葉も、必要だから書かれている」普段は深く考えない「ことば」というものに、改めて考えるものがありました。
辞書に載る一つひとつの言葉には、それぞれ意味や背景があり、それを使う人の暮らしや心情があります。そう考えると、「ことば」は単なる情報伝達を超えて、人と人との関係や人生に大きく影響するものだと実感します。
もうひとつ印象的だったシーンがありました。主人公の女性が恋人に、無意識にこう口にしたのです。「写真なんて○○なの?」すると彼は、ため込んでいた本音をこぼします。「君はいつも、僕を上から見てる」そのことばに主人公は驚き、戸惑います。「なんて」という言葉に深い意図があったわけではない。見下すつもりなど全くなかった。でも、受け取る側には違って伝わり、少しずつ心に澱のように溜まって、やがて二人に距離を生んでしまったのです。
この場面を観ながら、私がハラスメント研修で伝えている「無自覚の加害性」というテーマを思い出しました。日常の何気ない口癖や言い回し、態度。それが相手にどう伝わっているか、私たちはどれくらい意識できているでしょうか。特に立場や力関係が絡む場面では、言葉の温度はより繊細に届きます。
「冗談のつもりだった」「そんなつもりじゃなかった」で済ませるのではなく、受け取った側の気持ちを想像する力が、これからのコミュニケーションには欠かせないと思います。例えば、「どうしてそんなこともできないの?」「前も言ったよね?」
「普通はこうするよね」――こうした言葉も、発信側に悪気がなくても受取側に「否定された」と感じさせてしまうことがあります。
私たちは言葉でつながり、同時に言葉で距離を生むこともあります。だからこそ、自分の口癖や言葉遣いに少し意識を向けてみる。それは、自分自身を客観的に見つめ、相手を尊重する第一歩です。ハラスメントのない職場や人間関係をつくるためには、
「正しい知識」だけでなく、「日々の言葉選び」を丁寧に積み重ねることが必要だと思います。
辞書のように、一つひとつの言葉に「意味」があるのだとしたら。その意味を大切にしながら話すこと、聞くこと。そして、もし自分の言葉が誰かを傷つけていたと気づいたら、「そうだったんだね」と受け止め、変えていけること。それが、私たちがこれから身につけたい「言葉のやさしさ」なのかもしれません。



