重い荷馬車も動くと軽い
今のような時期だからこそ、考えておきたいことがあります。
若い人なら50年後の自分、高齢の方なら10年後の自分はどのようになっているかを想像してみる。
ある講座で、「50年後の自分を想像する」という課題がありました。
私の年齢を考えると、長寿薬でも開発されない限りこの世に存在していないでしょう。
とは言え、私なりに考えてみたところ、子どもたちと老人が集える地域のコミュニティがあちこちにできているといいなぁと思いました。
ある時期から「循環」という言葉に惹かれるようになりました。人も動物もあらゆる植物も地球も太陽系も銀河系も宇宙全体が果てしなく終わりなき循環をしています。人類が残す文化や歴史も循環していると言えるかも知れません。
人が後世に伝えていく文化、やがてそれらは歴史に刻まれます。善悪、区別なく、人類が消滅するまで歴史に深く刻まれ、残された者が未来に伝承するという循環が存在します。
幼い頃の私には父親がおらず、お袋が働いていたのでおじいちゃん子でした。とても厳しかったけれど、祖父にはとてつもなく大きい温もりを感じていました。確か幼稚園の頃だったか祖父にこんな質問をしたのを覚えています。
「どうして人を傷つけたらいけないの?」
祖父は戦時中に多くの友をなくしています。その祖父がこう答えたのをはっきり覚えています。「どうして人を傷つけてはいけないのか生きている限り考えなさい、答えが出なかったとしても考え続けることが大切なこと」このような答えでした。
子どもながらに質問の答えになっていないとその時は思っていました。今でもそれを考え出すと、まるで深海に潜っていく果てしない未知の世界に感じます。
こうして当たり前のようなことでも考える度に、その時の環境や年齢によって様々な答えが観えてくるので、子どもたちには、たくさんの言葉はいらないかもしれませんね。
子どもが一生を通じ、自分自身で考えることが大切であって、私たち大人の人生経験や知識で出した答えは、子どもが求めるものではないし正解ではないかもしれません。
自分で道を切り開いて問題を解決する勇気づけができる子どもたちが増えて、みんなが元気になるような社会になる。このような未来の種まきを、今、しておきたいですね。
あなたにも気付きがありますように
【小さな実践】
あなたの20年、30年、50年後の自分をどのように想像するか?