「時間は平等」のウソ
待ち合わせ・・・何とアナログ的な言葉だろうか。その昔、待ち合わせと言えば、相手と時間と場所を入念に打合せをし、相手の顔を見るまで、そわそわしながら待つ。
しかし、相手が時間に遅れるとにわかに不安が見え隠れし、遅れた原因をあれこれ想像するが、こちらとしてはひらすら待つしかない。
それでも来なければ、あきらめるタイミングをどこかで決断しなければならない。そのタイミングは相手によって違う。信頼できる相手なら可能な限り待つだろう。だから待ち合わせ場所は、待たされても苦にならない場所を選ぶ。
待つことは嫌いではない。待ち合わせ場所には5分ほど早めに行くことにしている。この5分間が私にとって充実した楽しい時間だが、待ち合わせ時刻を過ぎればそれが一変する。
私にとって特別だった5分間は、携帯電話という文明の利器によって奪われ「待つ」相手は携帯電話に変わった。
【小さな実践】
携帯電話がなかったとしたら、どのような待ち合わせが望ましいのかを書き出してみる