認知症の新たな個性を受け入れるには
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2015年1月6日の話
京都に帰った早々、朝から冷たい雨。これから一雨ごとに寒くなっていくのだろうな。 京都に帰り、改めてお袋の介護のことを振り返ってみて、今しか書けないと思って、今日も「お袋の認知症日記」を書いた。
介護鬱は個々で症状も違えば状況も違う。誰かに「よくやっているね」と言われたい気持ちとは裏腹に、そう言われても、「他人には分かるはずがない」そんな気持ちが錯綜するだけ。
当の本人は、世話をしてもらって本当に嬉しいのかどうか本心は分からない。
「味が薄い」とか「これはいらん」とか言われると、最初は美味しく食べてもらおうと努力するが、徐々にちょっとしたことでイライラしてくる。
言葉を交わしても同じことの繰り返しなので、親しくない他人のように、会話がめっきり減っていく。認知症だから仕方がないって分かっているつもりだけどね。
頭で解っていても、心が向き合おうとしない。 やがて私自身が、自分の気持ちの拠り所を探し、こんな自問自答をする。
今、しておかないと後できっと後悔する・・・
コーチの身でありながら、自分の親を和ますこともできないのか・・・
100%できなくてもいいから・・・
そうやって、どんどん自分を追い込んでいく。どこかで自分を悲劇のヒロインに祭り上げ、自分の居場所を探す。
幸い、私は一杯いっぱいになる前に、現状から距離をおくことができたが、それすらできず、家族から「お前は努力が足りない」と責められ、板挟み状態になっている方も多いと聞く。
私は前回、自分一人で背負わなくても他者に委ねればいいなんてことを言ったが、一杯いっぱいになってからでは、考える余裕もなく負のスパイラル続くだけ。
うつ状態になってから抜け出すのは容易ではない。気持ちを切り替えようとしてみるが、「現状から逃げようとしている」という罪悪感が襲ってくる。その繰り返し。
気持ちを切り替えることが容易いなことではないことを痛感した。認知症の介護、「今回の経験を踏まえて次回はちゃんとしよう」と思っても、現状は刻々と変わる。結局、日々、対応していくしかない。
認知症のお袋を憎いと思うのも、可愛いと思うのも紙一重。
失敗しても、挫折しても、逃げても、止まったり進んだりしながらでも、向き合おうとする気持ちさえ保っていれば、カタチを変えて向き合える時を作ってくれるはず。
認知症の遠距離介護の経験は、私がコーチとして、やっていく上で最も大切なことを教えてくれているのかもしれない。
ここから現在
人に委ねれば良いなんて、第三者がアドバイスしたところで当事者は目の前の現実しか観えないのです。自問自答しながらでも前を向くのが精一杯です。
今回の日記を読んで改めて思ったことがあります。
物事の道筋が観えていたとしても当事者はどうにもできないどころか、一度、介護鬱状態になると、真っ暗闇のトンネルの中で負のスパイラルが始まり、結果的に共倒れになります。
できれば介護初期の段階から、介護のことを理解している心理カウンセラーかコーチにサポートをしてもらうことをお勧めします。
参考になれば幸いです。
【小さな実践】
他者に委ねることを理解していても、すべてを抱え込もうとするのが介護者の心理だということを意識しておく