出口が見えない認知症のトンネル入った日
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2015年1月2日の話
大晦日は、お袋と二人で、近所の氏神さまにお礼参りに行き、元旦は、誓いをたてに行った
お袋が認知症を発症して1年、今はひとりでできることが限られている。料理、洗濯、買い物などができなくなっているので、買い出しや大晦日の年越しそばと正月のお雑煮は私が作り、プチ御節は近所の方が作って持ってきてくれた。
料理はやってみると結構、大変な作業だけど、お袋は毎年、これを普通にやっていた。そしてお袋の手料理は二度と食べられない。そして今年からすべて料理は私た作ることになる。
お袋の正月は、料理を食べたらコタツ潜り込んで寝るという繰り返し、まるで猫のようだ。会話といったら「猫はどこにいった?」 「今日は何日?」「寒い寒い」これだけ。
これが後に貴重な時間だったと思えるようになると自分に言い聞かせながら、お袋との時間を楽しむことを考えるようにしていたが、自分ができることをするというスタンスは変わらない。
ここから現在
味覚、香り、視覚、聴覚、触覚などの五感を刺激されると思い出すことがあります。お袋の味、香水や花の香り、懐かしい場所、曲の想い出、肌の温もりなどが、トリガーになって、普段、忘れていたことを思い出す。
これを意識して行なうことをアンカリングと言って、船が錨を下ろすように、潜在意識に記憶を定着させることです。
この頃のことを明確に思い出す場所が、実家の居間の指定席。目の前にお袋が居なくても、声や表情、仕草、ケンカをしたことなどを昨日のように思い出します。私は居間の指定席にアンカリングをしていたのです。
元気で特養で暮らしているお袋のことが、まるで他界したかのように懐かしく思える。これが認知症の方の家族の淋しさです。
あなたの気付きになりますように
【小さな実践】
男であれ女であれ、母親の味のひとつくらいは再現できるようにしておきたいもの