どこかにあるアイデンティティ
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年12月19日の話
私は心理学に興味を持ち、共通心理学を建築インテリアデザインに取り入れていたことが、 現在の仕事に結びついたような気がします。
習慣を変えるというのは脳を騙すようなもの。脳のクセを理解すれば悪習感に新たな習慣を上書きすることができます。と言ってもパソコンのように悪習感が消えてなくなるわけではありません。油断するとすぐ、悪習感が顔を覗けるのです。
記憶というと、 お袋の認知症の症状を観ていると、人は何故、記憶しなければいけないのかということがよく理解できます。
お袋は2、3分前に話したことがまったく記憶にないので、普段、気になっていることや不安なことを、再三、質問してきます。
答えてもすぐに忘れるので、私が面倒くさくなって怒ると、相手の感情の動きに敏感なので怖がって自分の殻に閉じこもります。
認知症になってからのお袋は、「私はアホになってしもうた」とひとり言のように言う機会が増えました。記憶が薄れていくことを本人も理解しているので、生活していく中で自分の存在する意味が分からなくなっているのでしょう。
「私は死んだほうがええ」などと言いながら、あっちでウロウロこっちでウロウロ。
私が何を探しているのか聴いても「何を探しているのかわからん」と、こんな感じです。
記憶というのは、良いことも悪いことも一定期間、留めておかないと思考や行動の整理ができません。お袋は、自分が何のために毎日、食事をして、何でヘルパーさんが来ているのか理解していない時があります。
自分がどのように生活しているのか、何のために生きているのか、誰のために存在しているのか、理解できないことが不安でしょうがないのでしょう。生活空間の中によどみが湧いてくると、それに無意識に反応する繰り返し。
長年、生きていると死にたくなるようなこともあります。何で自分だけが・・と卑屈になることもありますが、楽しくて楽しくてこんな時間が永遠に続けばいいのに・・と思うこともあります。
ここから現在
先日、「50回目のファーストキス」という映画を観ました。恋人の彼女が、事故の後遺症によって、翌朝、起きたら昨日の記憶がなくなるというような内容です。
まさにお袋を観ているようでリアルに感じました。本人が記憶がなくなっていくことを理解して受け入れると、愛情を共有する方法はいくらでもあるものですね。
あなたにも気付きがありますように
【小さな実践】
たった独りで無人島に取り残されたら、どんな想い出で生きていきますか?