出口が見えない認知症のトンネル入った日
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年12月17日の話
今日の京都は最高に寒い! 雨こそ降っていないが、雨男の私に相応しく過去に例のない寒気が来ている。
今年の1月にお袋は認知症を発症した。
認知症になったお袋を、不甲斐ない思いが強くて受け入れることができず、自己嫌悪になる毎日が続き、故郷に帰るのが楽しみで観ていた車窓からの四季の景色も、灰色に観えるようになった。
あの気丈なお袋が・・・と、どうしても認知症を受け入れず口論をした日や泣きながらお袋に認知症を伝えたこともあった。認知症介護の知識も介護コミュニティや本で学んだ。
ある日、突然、元通りになった気丈なお袋がいる夢を何度も観た。この一年、パートナーや友だちに支えられながら、認知症の症状をお袋の新しい個性として受け入れることができたような気がする。
認知症は人によって、進行に違いがある。この先、息子としての私を認知できる時間がどれだけ残されているのか分からないが、限られた時間、できる限りお袋のために使いたいと思っている。
親が子を愛おしく想うように子が親を愛おしく想う。認知症によって改めて、原点で生きることを教えてくれたお袋に心から感謝。
ここから現在
人の死は苦しいほどに悲しみにさいなまれるが、家族にとってはいずれ忘れられる悲しみであり、むしろいさぎよいかもしれない。一方、生きながら人として尊厳を失っている様を見ても家族は何もできない。それが認知症。
やがて寝たきりになる認知症。その時、本人はどのように自分を意識し、何を認知しているのだろうか・・・
参考になれば幸いです。
【小さな実践】
あの日に帰りたいと思った時、あなたはどの日に帰りたいのか、そして何故、その日に帰りたいのかを深堀りしてみる