孤独という恐怖
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年8月16日の話
昨日の墓参りは雨も降らず、雨男の私を先祖が守ってくれたようです。 さて、今日は、久し振りにお袋の認知症日記です。ここ1、2ヶ月間で認知症が進みました。
洋服に気を使っていたお袋が、私がタクシーで実家に着くやいなや肌着姿で外に出てきたのです。こんなことは初めてです。いや、私が知らないだけかも知れませんがね。
風呂に入る時も下着を用意せずに入ろうとします。下着を探すのも30分以上かかります。お茶を飲むのにご飯茶碗で飲んでいます。食べたばかりなのに目の前にあるものを次から次へと食べまくります。
毎日、一緒にいると会話したくなくなります。もう言葉が出ないのです。お袋の新しい個性だと思えば思うほど、安っぽい気休めの言葉として現実と理想とのギャップに苛まれます。
何のために実家に帰っているか分からなくなる。お袋とは何も会話せず、持って帰った仕事をしながら適当に相槌を打つ。ちょっと前のように楽しく会話したい。分かっているがどうにも出来ないもどかしさ・・・
認知症の状態は人によって違う。 ああすれば良い、こうすれば良いというアドバイスは時によってストレスになる。何故なら、私自身が心底、認知症を受け入れていないから。
ここから現在
当時、お袋の認知症の進行が早すぎて、やっとのことで受け入れると次の個性が出没する。2週間前は楽しくできていた会話が、新たな個性によって上書きされ、今までの次元とは違う言動に対応しなければ、互いにイライラのループに入いる。
改めてこの頃を振り返ると、認知症を受け入れたと思っていたやさきに、さらに進行した認知症の変化についていけない時期でした。
この日記を読み返すまで、私が認知症を受け入れられなかったのは最初の時期だけと思っていました。私は、こんなに挫折していたのですね。
私たちの記憶は、苦しく辛い想い出を、楽しい想い出にすり替えてくれているのでしょうね。
【小さな実践】
認知症の進行に着いて行こうと考えずに、先に行って待つ工夫をしてみる