認知症になっても全てを忘れることはない
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年7月5日の話
20日振りに実家に帰っている。お袋の認知症が少し進行している以外、周りは何も変わっていない。最近のお袋は妄想がより激しくなった。
例えばこんな調子だ。
「ひろ(私のこと)が昨日、夜中に10人くらい友だちを連れて来て2階で騒いで眠れなかったとか」
「私の4人いる旦那のうち、2人がどこに行ったか分からんとか」
「近所の人が朝の4時頃、井戸端会議をして眠れんとか」
「コマ(ペットの猫)がいつもは二匹いるのに一匹しかいないとか」
こんな妄想劇場が繰り返される。恐らく過去の記憶を繋ぎ合わせて新しいストーリーを作っているのだろうが、妄想の中には真実か妄想か解らないものもある。
そんな時、私は返事に戸惑い、いつものように妄想劇場に付き合って演技するか、まじめに対応するか迷い、イライラの元が発生する。
このイライラは始まると、普通ならスルーできる彼女の言葉に突っかかるようになり、そんな自分にもイライラし、イライラループに入る。
イライラが頂点に達すると、私の気持ちを試されているような気がしてくる。こんな私を、お袋の目から観ると不可解な行動に感じ、よけい不安になるのかも知れない。
頭で理解できても行動できないことはたくさんある。私の潜在意識の中にある「何かが」行動を妨げている。今は解らないが、焦らずに付き合っていくつもりだ。
そう言えば、先日、お袋が泣くように「財布の中に1000円しかないので死んだほうがええ」と言っていたが、私がお袋の財布を確認すると、財布のカードを入れるところへ小さく折りたたんだ1万円が2枚出てきた。
こんなことも、いずれ良き想い出として懐かしむことがあるだろうか。
ここから現在
今にして、お袋の妄想劇場を確認していると、私が友だちと二階で騒いでいるという妄想は、私が小学生の頃、お袋自身が部下の女の子を大勢連れて、家で騒いていた時に祖父によく叱られていたことに重なっているのだと思った。
もしかしたら、認知症の妄想は、本人が一番楽しかった頃のバラバラの記憶を繋ぎ合わせた夢と現実のグラデーションの世界かもしれない。
【小さな実践】
認知症の方の言動は、他人には意味不明だが家族なら掘り下げると不可解な言動を理解できるが、理解しようとしなければそれは他人と同じ