金魚鉢の人間
最近、自然災害や凶悪犯罪をテレビで観て思うことがあります。雨風をしのげる部屋で寛いで食事ができる。布団の中で睡眠がとれる状態で、被災地の人たちに同情している自分を、偽善者じゃないかと思うことがありました。
私は1995年1月17日阪神・淡路大震災の三日後 建物危険度判定の業務で歩いて神戸に入りました。当時、建築の専門家でありながらあまりにも無力な自分が情けなく悔しかったのを鮮明に覚えています。判定で要注意という黄色のラベルを貼ると、建物の持ち主から仮設住宅の優先順位から外れるから赤色のラベルを貼ってほしいと言われたこともあります。でも、そう言う被災者の気持はとてもよく理解できます。実際問題、黄色ラベルの家屋は、耐震工事を行わないと家に戻ることができませんからね。
一週間の間 何度となく起こる余震の中で半壊した建物の中にいた。後にそれが私の中で地震の爪あととなり、ちょっとした地震でも心が凍るような心理状態になります。当時、被災地にはマスコミが大勢いました。ガレキの下に生存しているかも知れない母親を心配し呆然としている子供に、インタビューするリポーターに「やめろ!アホか」と叫ぶ被災者の人たち。被災者のストレスは災害の直後には表われません。時間が経過して現実に戻った時、心の闇は数ヶ月から何十年続く。被災者でない方の多くはどんなに大きな自然災害も時と共に忘れます。 それはそれで仕方がないこと。教訓として残しておけば良いことです。
嫌な出来事は忘れ、時間が経てば普段の生活に戻る。ある意味、自分のココロを守る防衛本能です。心を守る防衛本能はプラスに働いたりマイナスに働いたり。人のココロはガラスのようなもの。生存本能を脅かす衝撃があればたやすく亀裂が入り粉砕します。無意識下の攻撃に抵抗するトラウマは厄介なものです。それはどんな形で身体や行動に出てくるか分かりませんからね。
もし、あなたの身体にいつもと違う症状が出た時は何かの注意信号かも知れません。予兆を絶対に見逃さないで下さい。自然災害、事故、凶悪犯罪いつ巻き込まれても不思議じゃありません。
【小さな実践】
今の日本に想定外の災害というのはなく、
想定内と考えてできることは準備しておく