認知症になっても全てを忘れることはない
現在、投稿している記事は、
お袋が認知症と診断された頃の話です。
介護をしている方に
何か参考になればと思って、
当時の日記をシェアしています。
今日は、初期の認知症と
診断された日のことです。
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2014年2月17日 16時40分
お袋が初期の認知症と診断された。
お袋には内緒で随分前から、
クリニックを予約していたので
帰郷してから話そうと思っていた。
お袋の自尊心を傷つけないような
言い方を考えていた。
「最近、物忘れが激しくなったけど、
何か思い当たることがあるか?」
このように聴いたところ、
「この間、うちの猫が近所の人に
虐められて怪我をしたので、
それが不安でしょうがない」
とお袋は言った。
「それが原因で心が傷ついているのかも知れない
ので一度、クリニックで診てもらうか?」
と言うと、お袋は快く承諾した。
いつ心変わりするか
少し不安だったが、案の定、
「私はしっかりしているので行かない!」
と言い出した。
私は当日までクリニックに
行く話はしないことにした。
余程、不安なのか、お袋が
テーブルの上に頭を伏せることが多くなった。
そんなお袋を見ていると
不憫で仕方がなかった。
もうこのまま、
連れて行かない方がいいかどうか
私は当日まで迷っていた。
気のせいかも知れないが、
お袋の物忘れは日々、
進行しているように感じた。
そんなお袋が、突然
「私はもう外を歩かん方がええかなぁ?」
と言うので返事に困った。
クリニックに行く当日の朝、
お袋が味噌汁を作ってくれた。
いつもなら私の身体を気遣って
塩分をひかえているはずの味噌汁は、
この日は特別塩っぱかった。
塩っぱいなりに、
手作りの味噌汁が飲めるのは、
これが最後かも知れないと思うと
目頭が熱くなった。
予約時間前にタクシーはクリニックに着いた。
待合室で待っている時間、お袋に話かけていたが、
不安からか口数は少なかった。
待っている時間、余程、不安なのだろう。
「頭を直接診るのか?」とか
「胸を開くのか?」とか
何度も聞いてきた。
診察はお袋と私で症状を先生に説明し、
その後、お袋はひとりで認知症のテストを受けた。
結果は30点満点のところ、20点で
やはり認知症の初期との診断結果だった。
テスト用紙を見ると、
まるで低学年の小学生が書いた
字と絵が書かれていた。
あの達筆だった文字はどこにもない。
先生から介護保険の
申請手続きの説明を聞き、
お袋とタクシー乗り場まで歩いた。
お袋は安心したのか口数も多くなり、
「あんたと歩くのは何十年振りかなぁ。
楽しい時間をありがとうな」
と何度も何度も言っていた。
2人で買物をして自宅に帰り、
お袋に薬のことを説明したが、
「これは何の薬?」と言う。
その夜、お袋が
「寂しいからもう一日居ってくれんか?」
いくら寂しくても、こんなことは、
今まで一度も言ったことがなかった。
普段、小さなお袋が、
より丸まって小さく観えた。
つい、いつものように
「仕事があるのでそうはいかない!」
とぶっきら棒に言った自分に、
心に鬼がいるように感じた。
翌日、京都に帰る日、
お袋が「自分が言ったことが、
近所の人に信じてもらえない」
ということを話し始めた。
例え妄想であっても、
お袋の中では真実。しかし、
相手はお袋の言うことを否定する。
私はこう言うしかなかった。
「お袋が本当のことを言っているのに、
否定されたらそれは辛いよなぁ」
私の言葉に、お袋は涙ぐみ、
「息子が信じてくれたらそれでええ」
とかすれ声で言っていた。
つい、一ヶ月前までは、
通常通りに出来ていたことが
できない歯痒さは本人が一番、辛いようだ。
この5日間、お袋と話していると
私の方が、どうにかなってしまったと錯覚する。
京都に帰る直前、予定になかったが、
すぐに市役所に行き、介護保険の手続きと
ケアの相談をした。
それほどお袋のことで
正体不明の不安感と危機感があった。
京都に帰ってから、
お袋の預金と支払いの流れを把握し、
処方された薬の数もこちらから
電話で確認できるようにした。
-------------ここまで-------------
この頃、平常心でいれたのは
できることをするという覚悟と
相談にのってくれるパートナーと
友人の心強い応援のおかげでした。
こうして、
お袋に起こった現実を伝えることも、
私に与えられた役割りのように思っています。
【小さな実践】
自分ができないことを認めると
何がどのように変わるかを考えてみる