インナーゲーム
小学生のある時期、
学校に行くのがとても嫌でした。
母子家庭で一人っ子だったので
家族は祖父とお袋の三人。
この時代は、父親がいないことは
特殊な環境でした。
昼間は遊ぶ友だちが多いけど、
寂しいのは夜。
お袋は二交替勤務で会社に行き、
祖父は夜、本ばかり読んでいたので
私は一人遊びの達人でした。
その頃はテレビもなく、
一人ですることといったら
雑音が出るラジオを聴くことくらい。
冒頭で書いた学校に行くのが嫌だったのは、
母子家庭というのもあり、
ある時期から上級生にいじめられ、
登下校で小遣いをとられていました。
といっても10円とか20円ですけどね。
でも、当時の10円というと
アイスクリームを1つ買える金額。
私は隠れるように登下校してました。
やがて、このいじめは、
祖父の怒りによって解決されたかに思えましたが、
いじめがなくなったのは一時的なことで、
いっそう、いじめが酷くなったある日、
どんな理由だったか忘れましたが、
私はその上級生に初めて反抗しました。
その時の上級生の青ざめた顔は
今でも脳裏に焼き付いてます。
蓄積されていた膨大ないじめストレスが
一瞬で爆発して消滅した記念すべき日。
ストレスに感じていたことも
自分の内面や環境が変わるとなくなりますが、
人は大きな変化を恐れます。
変化することで今より悪い状態になるのが恐い・・
だから現状維持
これは快楽を求め苦痛を避けるという
人間の本能なので仕方がないこと。
変えようと行動したことが
苦痛の方向に向かったらどうしようと考えると
「今のままでいい」となるわけです。
生活習慣なら
脳が抵抗しない程度に毎日、
少しずつ変えていくことができますが、
いじめ問題は少しずつ変えれないから厄介です。
私の場合は運が良かっただけで
状況が悪化する場合もあるわけですからね。
私がそうであったように
子供はいじめられていても親には言いません。
毎日の子供の変化に
気付いてあげられるのは身近な家族。
私の変化に気付いたのは祖父。
母親が不規則な勤務だったから
祖父なりに責任を感じていたのかも知れません。
今思えば、祖父は
私の行動に関心を持って観察していたのでしょう。
関心を持っていたからこそ、
私の些細な変化に気付いてくれたのでしょう。
お子様に関心を持っていますか?
と聞くと、子供に関心を持たない親はいない!
叱られそうですが、
関心とは「注意深く気にとめる」こと
何でもいいんです。
言動、行動、癖、好き嫌い、交友関係、趣味
これらは成長と共に変わります。
でも少し違和感を感じたら
本人より友だちにそれとなく
聞いた方が良い場合があります。
いじめが軽い間は、
本人に聞いても言うことがありますが、
重度になると家族には絶対に言いません。
親が子供に接する時間はとても大切。
私は一人っ子なので、
兄弟の中の不公平感は経験してないのですが、
人間関係の原則から観ると、
兄弟が多かったら、
それぞれの子供に対して違う接し方をしてこそ
公平に接していると言えるのかもしれません。