坐骨を中心に寄せる感覚シミュレーション
「体が固い」と言われる人に
「体が固い」
と言われる人は、体が固いのでなく
その時点では、
固く使わざるを得ない状態で体を使っておられるのだと
私は思っている。
すぐに思うようにはいかないかもしれないが
無理なく伸びられる骨の位置感覚を覚えていけば
少しずつ普段の体の習慣は変化する。
「そうすると詰まります」
「痛いです」
自分も覚えがあるので、気持ちがわかるが
痛いところがある人ほど
痛いところをより使って
痛いのを我慢して動こうとする。
それをする必要はない。
その時には
誘導して底が詰まらず、痛みがないように
動かすポイントを変えてみると
「あっ!痛くないです」
「楽です」
と言われる。
例えば
ハムストリングスが固くきつい人、脚の流れの方向は(2019年6月5日)
インナーの最小限の力で肩甲骨ストレッチ(2019年5月13日)
のように、意識するポイントと使っている力の流れの方向を変える。
痛くないようにどう使うか
それが今まで、ボディコントロールを通して
私が大切に考えて実践してきたことだ。
多くの方の体が変化し
誰よりも私の体が変わったことを
身をもって体験しているから
言えることだ。
怪我をして・・
生まれつきだから・・
そういう人は
確かに長い年月、そうして使ってきたのだから
体の習慣が根強くついている。
自分1人でやってみても。
その習慣の中でしか動けず
簡単には変わらないかもしれないが
例の一つとして
何十年、肩から上に腕が上がったことはありません!
という人が、真上に手が上がってびっくりされたり
腰が痛い人が軽々楽に帰って行かれることは
今、うちでごく普通にある。
それまで特に熱心に見たことのなかった数回前のパラリンピックを
食い入るように見たことがある。
それは美しかったのだ。
記録も半端ではなかった。
太腿の半ばから脚のない方たちの
女子走り幅跳び。
こんな美しい飛翔を初めてみた。
背骨がきれいにしなり、弧を描くような着地。
誤解されると困るが
腿の半ばからない脚が尊く、輝いて見えた。
水をかく腕も、脚もない方が
魚のように泳がれている。
体の美しさに見惚れた。
体幹から、ないはずの手や足の軌跡が
見えるように思われた。
自分に必要な機能をつかうために
どれほどの努力をされてきたことかと、頭が下がる。
自分の体が思うように使えなくても
それを補って、できる方向に向かうためのやり方はあると
私は思う。
ただ、自分の気持ちが求めなければ
変わることはない。