糖尿病と眼の関係(2) ~糖尿病から眼を守るために~
はじめに
糖尿病網膜症は、視力低下や失明につながる可能性がある糖尿病の合併症です。これまで、糖尿病合併症を予防するためにHbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)を7%未満に保つことが推奨されてきました。しかし、日本人を対象とした最新の大規模研究により、網膜症予防という観点からは、この目標値では不十分である可能性が示されました。
従来の目標値「7%未満」の根拠
HbA1cは過去2〜3ヶ月間の平均血糖値を反映する指標です。これまで、糖尿病合併症の予防目標として「HbA1c 7%未満」が推奨されてきた背景には、いくつかの大規模臨床試験の結果があります。
1型糖尿病を対象としたDCCT試験では、厳格な血糖管理により網膜症のリスクが減少することが示されました。2型糖尿病を対象としたUKPDS試験や、日本人を対象とした熊本スタディでも、血糖管理の改善が網膜症予防に有効であることが確認されています。
しかし、これらの試験には重要な問題点がありました。厳格な血糖管理を行うと、低血糖の発生が増加してしまうのです。特にACCORD試験では、HbA1c 6%未満を目指した厳格管理群で重篤な低血糖が厳格管理群10.5% vs 標準管理群3.5%と増加し、さらに死亡率の上昇も認められたため、試験が早期中止となりました。
このような経緯から、アメリカ糖尿病学会は糖尿病合併症全般の予防目標として「HbA1c 7%未満」という、より穏やかな目標値を推奨するようになりました。日本糖尿病学会も、この考え方を基本的に踏襲しています。
日本人における網膜症研究の課題
これまでの日本人を対象とした研究には、いくつかの限界がありました。
熊本スタディは画期的な研究でしたが、参加者数が限られており(110名)、追跡期間も6年間でした。その後の日本人を対象とした観察研究では、網膜症の発症や進行に関する多くの知見が得られましたが、無作為化比較試験ではなかったため、厳格な血糖管理の効果を明確に示すことには限界がありました。
特に重要なのは、日本人を対象とした大規模な無作為化比較試験で、良好な血糖管理と低い低血糖発生率を両立させながら、網膜症の新規発症と進行を分けて詳細に検討した研究がなかったという点です。
J-DOIT3研究とは
J-DOIT3(Japan Diabetes Optimal Integrated Treatment Study for 3 Major Risk Factors of Cardiovascular Diseases)は、日本で実施された大規模無作為化比較試験です。この研究では、2型糖尿病を持つ45〜69歳の日本人2540名を対象に、血糖値・血圧・脂質の3つの危険因子に対する集中的な治療の効果を、平均8.5年間にわたり調べました。
参加者は2つのグループに分けられました。
- 集中治療群:HbA1c 6.2%未満を目標
- 従来治療群:HbA1c 6.9%未満を目標(当時の日本のガイドライン)
J-DOIT3研究の最大の特徴は、過去の試験とは異なり、良好な血糖管理と低い低血糖発生率を両立できた点です。実際に達成されたHbA1cは集中治療群6.8% vs 従来治療群7.2%でした。重篤な低血糖の発生率も集中治療群0.6% vs 従来治療群0.3%と極めて低い値でした。
この「良好な血糖管理」と「低い重篤な低血糖発生率」という両立が、過去の試験(例えばDCCT試験では重篤な低血糖が62件/100人年)とは大きく異なる点です。
新しい知見:明確な血糖値の閾値は存在しない
2025年に報告されたJ-DOIT3研究の網膜症に関する詳細な解析結果から、以下の重要な知見が得られました。
網膜症の新規発症について
集中治療により、網膜症の新規発症リスクが17%減少しました(ハザード比0.83)。この効果は、ベースライン時の危険因子(低いBMI、長い糖尿病罹病期間、高い空腹時血糖値、高い血圧、腎症の合併)を調整した後でも認められました。
さらに詳しく解析すると、治療開始1年後のHbA1c値が高いほど、網膜症の発症リスクが直線的に増加することが明らかになりました。
注目すべきは、HbA1cと網膜症発症リスクの関係に明確な閾値が認められなかったという点です。つまり、「この値以下なら安全」という明確な基準値は見出せませんでした。
具体的には、治療開始1年後のHbA1cが1%上昇すると、網膜症の発症リスクが31%増加することが分かりました(ハザード比1.31)。
低血糖の影響
もう1つの重要な発見は、重篤ではない低血糖であっても網膜症のリスクが上昇するという点です。
この研究では、低血糖を以下のように定義しています:
- 重篤な低血糖:他者の介助や入院を要するもの
- 重篤ではない低血糖:上記以外の低血糖エピソード(患者さんの自己血糖測定や症状から主治医が判断)
年間の低血糖発生回数と網膜症発症リスクの関係を調べると:
- 低血糖なし:基準
- 年間0.5回以下の低血糖:リスクが25%上昇(ハザード比1.25)
- 年間0.5回超〜1回以下:リスクが50%上昇(ハザード比1.50)
- 年間1回超:リスクが85%上昇(ハザード比1.85)
この影響は、HbA1cが1%上昇した場合の影響(31%のリスク上昇)と同等、あるいはそれ以上でした。これまでの研究では、重篤な低血糖と網膜症の関係が報告されていましたが、重篤ではない低血糖の影響を大規模試験で示したのは、この研究が初めてです。
網膜症の進行について
すでに網膜症がある人における病状の進行については、集中治療による明確な効果は認められませんでした(ハザード比1.02)。この結果は、網膜症が発症する前の早期からの厳格な血糖管理の重要性を示唆しています。
HbA1c値と低血糖の関係
興味深いことに、治療開始1年後のHbA1c値を5つのグループ(HbA1c <6.4%、6.4-6.8%、6.8-7.1%、7.1-7.6%、≥7.6%)に分けて低血糖の発生率を比較したところ、HbA1cの値によらず、低血糖の発生率はほぼ一定(約40件/1000人年)でした。
これは、「HbA1cが低い人ほど低血糖が多い」という単純な関係ではないことを示しています。言い換えれば、適切な治療法を選択すれば、より低いHbA1cを目指しても、低血糖のリスクを大きく増やさずに済む可能性があるということです。
ただし、HbA1cが1年間で1%以上急激に低下した人では、低血糖を経験する割合が有意に高かったことも示されています。実際、研究開始後1年間は網膜症イベントの発生率が相対的に高く、これは治療の強化時期と重なっています。
研究結果が示す新しい血糖管理の考え方
この研究から、以下のことが明らかになりました。
- 日本人の2型糖尿病を持つ人において、治療開始1年後のHbA1c値と網膜症発症リスクは直線的な関係にあり、明確な閾値は認められませんでした
- できるだけ低いHbA1c値を目指すことが、網膜症予防には望ましいと考えられます
- ただし、重篤ではない低血糖であっても網膜症のリスクを高めるため、低血糖を起こさないことが極めて重要です
- 急激な血糖値の改善は低血糖のリスクを高めるため、段階的に慎重に改善することが必要です
実際の治療への応用
この研究結果は、HbA1cの目標値を一律に引き下げることを推奨するものではありません。重要なのは、個々の患者さんの状態に応じて、低血糖を起こさずに、段階的に、できるだけ良好な血糖管理を目指すことです。
近年、低血糖のリスクが低い糖尿病治療薬が複数使用可能となっており、これらを適切に活用することで、低血糖のリスクを抑えながら、より良好な血糖管理を目指すことが可能になってきています。
さいごに
J-DOIT3研究の網膜症解析結果は、日本人の2型糖尿病を持つ人において、より厳格な血糖管理が網膜症予防に有効であることを示しました。その一方で、重篤ではない低血糖であっても避けることの重要性も明確になりました。
これからの糖尿病治療では、低血糖のリスクを最小限に抑えつつ、段階的により良好な血糖管理を目指すことが重要です。主治医とよく相談しながら、ご自身に最適な血糖管理の目標を設定していきましょう。
引用文献
Sasako T, Ueki K, Miyoshi K, et al. Effect of a Multifactorial Intervention on Retinopathy in People With Type 2 Diabetes: A Secondary Analysis of the J-DOIT3 Randomized Clinical Trial. JAMA Ophthalmol. 2025;143(12):989-997.



