第1回無為塾(講演会&詩集読書会)のお知らせ
4月13日(日)は第0回無為塾 詩集「無為 そのままでよかったんだ」出版記念講演会&読書会を開催しました。
約40名の方が参加してくださいました。
講演「無為について」
無為とは2500年前の中国の思想家 老子の言葉です。
それは「計らい心を捨てて全てを自然の流れに任せていこう」とする心のありようを言います。
計らい心とは作為的な心であり、相手をコントロールしようとする心です。
それを捨てて自然に任せていくということです。
なぜ「無為」を提唱するようになったのか
私は今プロの家庭教師歴が35年以上になりますが、その間ずっと不登校や発達障害の生徒と関わってきました。
それでどうしたらこの子たちは学校に行けるようになるのだろうかと色々と考え、色々なことを話しましたし、子どもの話も聞きました。
そうして10年ほど試行錯誤して悟りました。
そう悟ったんです。
「不登校は親にも先生にも医者にもカウンセラーにも家庭教師である僕にも直せない。
だけどただ一人直せる者がいる。
それはその子自身だ。
その子が『よし行く!』と覚悟を決めたら不登校は直る。
では親や家庭教師である僕には何も出来ないのか。
いや、そうじゃない。
子どもの可能性を信じ、ありのままの子どもを受け入れ安心感をあたえる。
それが子どもの元気を取り戻し、勇気を呼び起こし、前向きな気持ちにさせる。」
悟りのポイントは2つ
悟ったポイントは2つです。
1つ目は、不登校は本人以外誰にも直せない。
2つ目は、ありのままの子どもを受け入れ安心感を与えることで、子どもの元気を取り戻し勇気を呼び起こすことができる。
この2つ目のことを図示しますと。
受容 ⇨ 安心感 ⇨ 元気・勇気・前向き
受容とはありのままを受け入れることです。
ありのままを受け入れるともう何もやることはないんですね。それが無為です。
具体的に言いますと「もう学校に行かなくていいよ」と心から言って安心させてあげるということです。
そうしますと子どもは「もう学校行かんくていいんや。やったー!」て安心して喜びます。
安心できると自然に元気が出てきて、勇気も湧いてきて、気持ちが前向きになってきます。
そうすると不登校も解決の方向に向かうんですね。
でも、不登校の子の親御さんはこの「もう学校に行かなくていいんや。やったー!」がいいと思えないんですね。
そんなふうに安心して欲しくないんですね。
不登校を直す魔法の言葉
よく教育講演で保護者の方にお話しするときに「不登校を直す魔法の言葉」を紹介するときがあります。
それは「ゆっくり休んだらいい」という言葉なんですが、質疑応答の際にこんな質問をされる方があります。
「先ほど不登校を直す魔法の言葉として『ゆっくり休んだらいい』を教えていただいたのですが、そのように言ったら子どもが真に受けて安心してしまってかえって不登校が長引くということはないんでしょうか?」
「もちろんその危険性はあると思います。
子どもだって本当は楽しく学校に行けたらどんなにいいかと思っているんだと思います。
でも今は行きたくない。いじめがあるのかもしれないし、いじめがなくても学校自体が耐えられないほどしんどいのかもしれません。
そのしんどさ、苦しさは子ども本人にしかわかりません。
あんたがそんなに行くのが辛いんやったら、もうそんな学校行かんでいい。
ゆっくり休んだらいい。朝ももう起こさへんからゆっくり寝とき。
あんたの不安やしんどさは全部お母さんが背負ったるから。
あんたは家でゲームしたり動画見たりしてのんびりしとき。
心からそう思い、そう覚悟を決めて放たれるからこの『ゆっくり休んだらいい』という言葉は奇跡を起こす魔法の言葉となるのです。
それを言えば不登校が直ると聞いたからいっぺん言うてみようか、とそんな軽い気持ちで言える言葉じゃないんです。
この言葉を言うのには親の覚悟と子どもへの真心、そして子どもを信頼する心がいるんです。
それらがないうちは「ゆっくり休んだらいい」は言えないんです。
だからこそ本物の魔法の言葉なんです。」
不登校を克服されるお家というのは「学校に行かんでええ」と覚悟を決めはったお家か、「あんたの自由にしたらええわ」と開き直ったお家か、「もうどうしたらいいかわからへんから長谷川先生に全部お任せします」と僕に丸投げしてくれはったお家です。
僕に任せるということは自然の流れに任せるということです。
なぜかというと僕はこうして無為、つまり「自然の流れに任せていこう」という方針ですから、それに任せるということです。
無為とは自力の放棄
先日、中学校は不登校で高校は通信制高校だった元教え子から「長谷川先生、国公立大学の美術科に合格しました!」て連絡があって会いにきてくれました。印象的だったのは「不登校でよかった」ていう言葉です。不登校だったからこそ二度と負けたくない、逃げたくないという強い気持ちで頑張れたって言うんです。不登校だったからこそ自分が進みたい道も見つけられたって言うんです。すごいなー、素晴らしいなー、て思いました。
それでついでに「僕に習ってよかったことって何?」て聞いたんです。
すると「自由にさせてくれたところ」て言ってくれました。
自由にさせる。
その子に任せる。
自然に任せる。
それが無為です。
無為というのは自力の放棄です。
自分の力でなんとかしようとするのを手放すということです。
手放すと見えてくるものがあるんです。
不登校でも発達障害でも直そう直そうと必死になっている時には見えないものがあります。
子どもの気持ちです。
直したい気持ちを手放したときに子どもの気持ちも見えてきます。
発達障害も安心させてあげると改善に向かう
発達障害のある子は何か傍若無人のように思われがちですが、本当は人一倍不安感が強いだけっていう子がたくさんいます。
ですから安心させてあげると色々な困りごとも自然になくなっていくんですね。
この図の通りなんです。
受容 ⇨ 安心感 ⇨ 元気・勇気・前向き
前向きになるだけでく、成長し協調できるようになっていきます。
発達障害のある子は頑固な子が多いですが、「そうか。そうしようね。」とその子のこだわりを受け入れて信頼関係ができてくるとちゃんとこちらの言うことも聞いてくれるようになります。そういう意味では最初にどれだけ受容ができているか、その子に安心感を与えられているかが本当に大切です。
無為とはコントロールを手放すこと
今日は無為についてお話ししているわけですが、この「 為 」という漢字なんですが、元々は「 爲 」という漢字です。
この「 爲 」は冠の部分が手を表し、下の部分が象を表しています。
つまり象を操るというところから「何かをコントロールする」という意味なんですね。
だから無為はコントロールすることを放棄する、手放すということです。
コントロールすることを手放すとき自然のままに、自然の流れが戻ってきます。
この自然の流れが色々なことを自然に良い方向に持っていってくれます。
手を出さない効用、口を出さない効用、信じて見守る効用があるということです。
それも無為です。
詩集「無為 そのままでよかったんだ」読書会
皆さんにお好きな詩を選んで発表してもらいました。
選んでもらった方に朗読してもらった後、なぜその詩を選ばれたのかその理由を聞かせていただきました。
「幸せな風」を選ばれた方は娘さんの結婚式が去年あったので、それを思い出しましたとおっしゃっていました。
「理想(ゆめ)」を選ばれた方は「自分が自分に出した宿題」というフレーズが心に刺さったそうです。
「問題」を選ばれた方は真面目になりすぎず人に気を使いすぎず「もっとしたいこと」を大切にしていきたいとおっしゃっていました。
「オセロゲーム」を選んでくれた若い男性は元不登校であった僕の教え子です。
彼はどんなに苦しいことがあっても物の見方ひとつでそれは白(喜びや感謝)に変わるというところに共感します、と話してくれました。
まさに不登校をバネにして自分の希望する仕事に就いた彼にピッタリだと感じました。
彼はお母さんと二人で参加してくれていたのですが、お母さんが選ばれた詩が「桜咲く」でした。
桜咲く
長い
長い
長い
冬を越えて
桜咲く
by はせがわみつる
どうしてこの詩を選ばれたのですかと尋ねたら「なかなか就職が決まらずヒヤヒヤしてたのですが、こうして自分の好きな仕事に就けて満開の花を咲かせるほどに大きくなったんだなあと感慨深いものがあって、その心境にぴったりだったので選びました。」とおっしゃっていました。
参加された皆さんもこの一連のやりとりにとても心温まる思いを感じておられるのがわかりました。
アンケートでも「いろんな人の考えや感性が知ることができて楽しかった」「心が軽くなった」「また参加したい」という声が多くありました。
僕自身もとても楽しい時間が過ごせました。
選んだ詩を発表してくれた皆さん、参加してくださった皆さん、本当にありがとうございました。
次回 第1回無為塾 @姫路文学館望景亭
次回は6月28日(土)午後1時30分から4時まで姫路文学館望景亭で今日と同じ形式(60分講演&質疑、30分休憩、60分読書会)で第1回無為塾を開催します。
無為塾とは「無為」について学ぶ会です。
自由参加ですので入会の必要はありません。
当日参加費<講演のみ1,000円、読書会(15時〜)のみ1,000円、両方1,500円>を払って参加するだけです。
第1回目の講演テーマは「愛の子育て、エゴの子育て」です。