福岡の偉人:福岡県 主君に異を唱え、信念を貫いた栗山大膳

鎌田千穂

鎌田千穂

テーマ:この世界、知らんことだらけ

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さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。

相手がどれほど大きな権力を持っていても、
「それは違う」と思ったときには、
黙って従うことを選ばなかった人物です。

今回は、福岡藩を大きく揺るがした「黒田騒動」の中心人物。
栗山大膳(くりやま だいぜん/1591年~1652年)のお話です。

1591年に生まれ、1652年に亡くなった大膳。
その本名は、栗山利章(くりやま としあき)。

黒田家に代々仕えた家臣の家に生まれ、
福岡藩の筆頭家老にまでなった人物です。

けれど、その人生の後半は、
仕える主君との対立によって大きく変わっていきました。

そして最後には、
自らが仕える藩主を幕府に訴えるという、
家臣としては極めて異例の行動に出ます。

その結果、
大膳は福岡を離れることになりました。

黒田家を支えた家老

栗山大膳の父は、栗山利安。
黒田官兵衛、そして黒田長政に仕えた重臣です。

大膳も父の跡を継いで黒田家に仕え、
元和3年(1617年)には家老となっています。

つまり大膳は、
黒田家に反発していた人物ではありません。

むしろ、
黒田家を支えてきた譜代の重臣
でした。

そして、人生の大きな転機が訪れます。

元和9年(1623年)。

初代福岡藩主・黒田長政が亡くなり、
その跡を長男の黒田忠之が継ぎます。

大膳は、長政の遺言によって、
若い忠之を補佐する立場となりました。

ところが、
ここから二人の関係が少しずつ変わっていきます。

若い藩主と、古くからの家老

忠之は、
長政の時代から仕えてきた重臣たちだけではなく、
新たな側近たちを重用するようになります。

その中でも重要な人物が、
倉八十太夫(くらはち じゅうだゆう)でした。

忠之は側近たちの禄高を増やし、
従来の重臣たちに並ぶような立場に引き上げていきます。

一方で、大膳ら古くからの家老たちは、
こうした忠之の政治姿勢に危機感を抱くようになります。

そして、もう一つ問題になったのが、
忠之が建造させた軍船「鳳凰丸」です。

寛永2年(1625年)、
忠之は華美な御座船・鳳凰丸を建造しました。

ところが幕府からは、
禁止されていた軍船ではないかと疑われることになります。

結果として、
鳳凰丸を取り壊すことになりました。

幕府が大名の軍事力を厳しく監視していた時代です。

こうした行動は、
福岡藩そのものにとっても決して小さな問題ではありませんでした。

大膳は、忠之を何度もいさめた

大膳は、
こうした忠之の行動を黙って見ていたわけではありません。

家老として、
藩主をいさめます。

「このままでは危ない」

そう考えていたのかもしれません。

しかし、
忠之は大膳の意見を受け入れません。

むしろ二人の関係は、
次第に険悪になっていきます。

そして寛永9年(1632年)。

ついに決定的な出来事が起こります。

参勤交代から福岡へ戻った忠之は、
病気を理由に出仕しなかった大膳に腹を立て、
大膳を成敗しようとします。

しかし、周囲の家臣たちに止められ、
大膳は閉門となりました。

ここで大膳は、
一つの大きな決断をします。

藩主を、幕府に訴える

大膳は福岡を脱出。

そして幕府側に対して、

「黒田忠之には、幕府への謀反の疑いがある」

と訴え出ます。

これは、
単なる「藩主への不満」ではありません。

江戸時代の大名にとって、
幕府に対する謀反の疑いは、
藩そのものの存続を左右しかねない重大な問題です。

一人の家臣が、
自分の仕える藩主を幕府に訴える。

それだけでも、
極めて異例のことでした。

この訴えによって、
事件は福岡藩内部の対立から、
幕府が裁く問題へと変わっていきます。

いわゆる、「黒田騒動」の始まり。

江戸で始まった審理

幕府は忠之を江戸に呼び出します。

大膳の訴えが事実なのか。
本当に忠之に幕府への謀反の意思があったのか。

それが審理されることになりました。

そして最終的には、
将軍・徳川家光の裁定へと持ち込まれます。

結果として、
忠之に謀反の意思があったとは認められませんでした。

一方で、
福岡藩の領地はいったん没収されるものの、
黒田家は先祖の功績などを理由に再び領地を安堵され、
藩そのものは存続することになります。

忠之は処分を受けたものの、
黒田家は取り潰しを免れたのです。

そして、大膳には厳しい処分が下されます。
南部家、つまり盛岡藩に預けられることになったのです。

また、忠之の側近だった倉八十太夫は高野山へ追放されました。

大膳は、なぜ主君を訴えたのか

ここが、
栗山大膳という人物を考えるうえで、
最も興味深いところです。

大膳は、
本当に忠之を失脚させたかったのでしょうか。

それとも、
福岡藩を守るためだったのでしょうか。

実は、後世には、

「忠之の失政によって黒田家が改易されることを恐れ、あえて幕府に訴えた」

という解釈があります。

つまり、
「このまま忠之の行動を放置すれば、
いずれ幕府から福岡藩そのものが取り潰される。

それならば、
自分が忠之を訴えることで幕府の裁きを受け、

「黒田家を救おう」

という、いわば捨て身の策だったという見方です。

実際、結果だけを見れば、
黒田家は改易を免れ、
大膳自身は盛岡藩預かりとなりました。

そのため、
大膳を「黒田家を救った忠臣」と評価する見方が生まれました。

ただし、
大膳が本当に最初からその結末を狙っていたのかは、
史実として断定できません。

ここは、
講談や芝居などによって後世に物語化された部分も含めて、
慎重に見なければならないところです。([コトバンク][3])

盛岡で生涯を終えた大膳

福岡を離れた大膳は、
盛岡藩の南部家に預けられます。

そして1652年、
盛岡の地で生涯を終えました。

ところが、
大膳は単に「流された人」として人生を終えたわけではありません。

盛岡では、
その行政経験や学識を生かして助言を行い、
文化面でも影響を与えたとされています。

福岡を追われた後も、
持っていた知識や経験を生かして生きたのです。

忠義とは、従うことなのか

栗山大膳の人生を振り返ると、
一つの問いが残ります。

「忠義とは、何なのだろう?」

主君の命令に逆らわず、
黙って従うこと。

それも確かに、
忠義の一つなのかもしれません。

けれど、

「このままでは危ない」
「それは間違っている」

そう思ったときに、
あえて異を唱えることもまた、
忠義の一つだったのではないでしょうか。

もちろん、
大膳が正しく、忠之が間違っていたと、
簡単に決めつけることもできません。

歴史を振り返るとき、
「正しい人」と「悪い人」に分けてしまうと、
かえって見えなくなるものがあります。

大膳もまた、
自分の信念と立場の間で、
苦しい選択をした一人だったのではないでしょうか。

組織の中で「違う」と言えるか

これは、
400年近く経った今の私たちにも、
決して遠い話ではありません。

会社でも、

「上司がそう言っているから」
「昔からこうだから」
「みんなが納得しているから」

そんな理由で、
自分の中にある小さな違和感を、
飲み込んでしまうことがあります。

もちろん、
何でも反対すればいいわけではありません。

自分の考えを押し通すことが、
正しいとも限りません。

でも、
「従うこと」と「支えること」は、同じではない。

本当に大切な人だからこそ、
「それは違うと思います」と伝える。

本当に大切な組織だからこそ、
「このままでは危ない」と声を上げる。

それもまた、
組織を守る一つの方法なのかもしれません。

栗山大膳は、
その選択によって福岡を離れることになりました。

自分の信念を貫いたからといって、
必ず報われるわけではない。

むしろ、
損をすることさえある。

それでも、
「自分は、どう生きるのか」
という考えに真っ向から向き合った。

そこに、
栗山大膳という人物の面白さがあるのだと思います。

編集後記

組織の中にいると、
「波風を立てないこと」が
大人の対応だと思ってしまうことがあります。

反対しない。
空気を乱さない。
上司に逆らわない。

それで、
その場は丸く収まるかもしれません。

でも、
何年か経って振り返ったとき、

「あのとき、ちゃんと言えばよかった」

と思うこともあります。

栗山大膳の生き方を見ていると、
そんなことを考えさせられます。

ただし、
ここで大切なのは、
「勇気を出して反対しよう」という単純な話ではありません。

大膳の行動が本当に正しかったのか。
最初から黒田家を救うつもりだったのか。

それさえ、
私たちは断定できません。

だからこそ面白い。

歴史上の人物も、
私たちと同じように、
迷いながら、考えながら、
その時代の中で決断していたのかもしれません。

そして、その決断には、
必ず結果がついてきます。

大膳の場合、
その結果は「盛岡藩預かり」でした。

でも、
自分の立場を失うことになっても、
言うべきことを言った。

その生き方から、
私たちが学べることはあると思います。

「言わない」という選択も、
「言う」という選択も、
どちらも自分で選ぶもの。


だからこそ、
誰かの正解ではなく、
自分自身が納得できる選択をしたい。

栗山大膳という人物は、
そんなことを考えさせてくれる、
福岡の歴史に残る一人なのではないでしょうか。

No.152 古文書と記録で見る福岡藩政史3-2代藩主黒田忠

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組織課題を広い視野で捉え、主体性を持った思考と行動力、公私の均衡を図る自律型人材育成を行うこと。分析・統計による業務改善の解決策を示し、個人の悩みを解き放ち、企業の繁栄に繋げることが専門です。

鎌田千穂プロは九州朝日放送が厳正なる審査をした登録専門家です

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