気を使ってる顔して、ちょっとだけ操ってる時がある
家の引き出しを開ける。
すると、
謎のコード。
何のものか分からない袋。
使った記憶のないネジ。
いつ買ったのか分からない電池。
そして、
「これ、何?」
というものが、
普通の顔をして入っている。
「いつか使う」は、かなり長生きする
一度も使っていない。
たぶん、
これからも使わない。
・・・なのに捨てられない。
理由は決まっている。
「いつか使うかもしれないから」
この「いつか」。
ものすごく便利な言葉です。
期限がない。
予定もない。
でも、
捨てるのを止める力だけは強い。
しかも、
「いつか使うかもしれない」と言いながら、
一度も使っていない。
……そこは、
そろそろ認めてもいい気がする。
謎のネジだけは、妙に信用されている
特にネジ。
家具を捨てても、
本体がなくなっても、
ネジだけ残っている。
「これ、何のネジ?」
……分からない。
「何かに使えるかも」
……何かって何。
それでも、
小さな袋に入れて保存される。
そして数年後。
また引き出しを開ける。
まだいる。
……お元気そうで。
しかも、
一度も出番がないのに、
なぜか捨てられない。
ネジのくせに、
妙な信頼を得ている。
空き箱も、なかなかの古株
箱もそう。
何かを買ったときの立派な箱。
捨てるには、
ちょっと惜しい。
「何か入れるかもしれない」
そう思って残す。
でも、
何も入らない。
なぜなら、
箱を取っておいた理由が「何かを入れるため」だから。
中身が決まっていない箱は結局そのまま。
そしてまた、
「これ、何かに使えるよね」
と言いながら、
別の箱が増える。
気がつけば、
箱の中に箱。
その箱の横にまた箱。
……収納しているのか、
飼育しているのか分からない。
捨てるのが惜しいのは、物じゃないのかもしれない
考えてみると、
捨てられないのは、
その物そのものじゃない。
「いつか必要になるかもしれない」
という、
よく分からない可能性まで、
一緒に残しているのかもしれない。
コードも。
空き箱も。
謎のネジも。
「使うかもしれない自分」を、一緒に保存している。
だから、捨てにくい。
でも、
その「いつか」が来ないまま、
物だけが、
どんどん古くなる。
引き出しを開ける。
今日もいる。
去年もいた。
たぶん、
5年前もいた。
なのに、
「もしかしたら使うかも」
と言われて、また残る。
「いつか使う」は、長寿だけど、出番が少ない。
そろそろ、
「いつか」にも定年があっていい。
……とは思う。
思うけど、
謎のネジには、まだ言ってません。



