行動しない理由を“美しく説明してしまう人”の話
参拝したときに引くおみくじ。
私は、
よくお正月に引く。
場所は、
早良区総鎮守の紅葉八幡宮。
今年はどうかな。
何かいいことあるかな。
そんなことを思いながら一枚引く。
大吉、ほぼ生活指導。
大吉が出れば、
そりゃ嬉しい。
「おお、大吉。」
ところが、
中身を読んでみる。
……あれ?
なんだか、ずいぶん厳しい。
気をつけなさい。
慎みなさい。
油断するな。
大吉なのに、〝生活指導〟。
どう読んでも、苦行トーク。
もう一度、
おみくじの最初を見る。
……大吉。
間違ってない。
大吉って、
もう少し褒めてくれるものだと思っていた。
凶なのに、応援席にいる。
もちろん、
凶を引いたこともある。
「うわ、凶。」
一瞬、身構える。
ところが、
中身を読んでみる。
今は大変でも、
焦らず進めばいい。
気を落とさず、
努力すればいい。
……あれ?
凶なのに、
めちゃくちゃ励ましてくる。
「まだ大丈夫」
「ここからですよ」
そんな感じ。
大吉は注意。
凶は応援。
吉凶の看板と、
中身がちょっと合っていない。
未来が見えないから、目印が欲しくなる。
考えてみれば、
お正月におみくじを引くのって、
今年一年のことを
全部知りたいわけじゃない。
未来なんてわからない。
だからこそ、
「とりあえず、今年はこんな感じ」
みたいな、何か目安になるものがあったらと。
当たるかどうかは、
そのときはさておき。
何かひとつ、
方向を示してくれるものがあると、
ちょっと安心する。
「大丈夫ですよ」
と言ってもらえたら、
少し気が楽になる。
反対に、
「ここは気をつけて」
と言われたら、
そこを気にしておけばいい。
占いってものは、
良いことは当てるために。
悪いことは外すためにある。
「今年はもうダメだ……」
……そこまで話を大きくしなくてもいい。
人生は、
まだまだ長い。
おみくじは、一年契約じゃない。
おみくじって、
一年の運勢を見るものみたいになっている。
けれど。
おみくじの効き目は、
一日じゃないだろうか?
引いた日は、
ちょっと気にする。
「今年は慎重にね」
なんて書いてあれば、
ちょっと慎重になる。
とはいえ、翌日には普通に生活。
おみくじ、
一年契約にしては扱い方が安すぎる。
一日分のアドバイスに、
一年分の責任を負わせる。
……それこそ働かせすぎ。
あとは、自分でやる。
大吉を引いたから、
今年一年が大吉になるわけじゃない。
凶を引いたから、
今年一年が凶になるわけでもない。
おみくじは、
ちょっとした目印。
その先は、
自分で進む。
大吉なら、
「はいはい。調子に乗らないようにします」
凶なら、
「はいはい。気をつけます」
そのくらいでいい。
そして、9月。
今年も、残り3か月。
そういえば。
今年のおみくじ、
何だったっけ?
大吉?
凶?
……覚えてない。
やっぱり、効力はその時だけだったねぇ。。。



