福岡の偉人:北九州市 北斗の拳のラオウ・アラレちゃんの千兵衛を演じた声優・内海賢二

さぁ、今週も金曜日になりました。
福岡を語る上で、忘れてはいけない人がいます。
戦争というと、
真っ先に思い浮かぶのは、
銃を持って戦場に立つ兵士かもしれません。
けれど、戦争には、
戦場に姿を見せない戦いもあります。
相手は何を考えているのか。
国内では何が起きているのか。
どんな情報を集め、
どう読み取るのか。
今回は、
福岡市が生んだ陸軍軍人、
明石元二郎(あかし もとじろう/1864年~1919年)のお話です。
福岡藩士の家に生まれた少年
1864年。
父が福岡藩士だった明石家。
明石元二郎は福岡に生まれました。
明治維新を迎えると、
日本そのものが大きく変わっていく時代。
明石元二郎は陸軍士官学校、
陸軍大学校へ進み、
軍人としての道を歩みます。
その後、ドイツへ留学。
日清戦争にも従軍。
さらにフランス公使館付武官、
ロシア公使館付武官を務めました。
ここで重要になるのが、
明石元二郎が日本国内だけではなく、
海外で仕事をする軍人だったことです。
特にロシア公使館付武官となった経験は、
後の日露戦争で大きな意味を持つことになります。
日露戦争が始まる
1904年。
日本とロシアの間で、
日露戦争が始まります。
当時のロシア帝国は、
日本から見れば圧倒的な大国。
日本軍とロシア軍が、
満洲や朝鮮半島をめぐって戦う一方で、
明石元二郎が向かったのはヨーロッパでした。
ロシア公使館は、
中立国スウェーデンのストックホルムへ移転。
明石元二郎もそこを拠点として、
ロシア国内の情報収集や、
ロシア帝国内の反政府勢力との接触を進めていきます。
戦場ではなく「情報」を追う
明石元二郎の仕事は、
敵軍と直接戦うことではありません。
ロシア国内では、
政府に対する不満や民族問題、
さまざまな反政府運動が存在していました。
明石元二郎は、そうした人々と接触し、
情報を集めます。
そして、
フィンランドの活動家コンニ・シリアクスらを通じて、
ロシア帝国内の反政府勢力との関係を築き、
資金を提供するなどして活動を支援しました。
こうした活動は、
後に「明石工作」と呼ばれています。
ただし、ここは少し慎重に見ておく必要があります。
明石工作については、
「ロシアの国内情勢を不安定化させ、日本の戦争遂行を支えた」と評価される一方で、
明石元二郎の活動だけが、ロシア革命を引き起こしたかのように説明するのは正確ではありません。
ロシア国内には、
もともと複雑な政治的・社会的対立がありました。
明石元二郎が関わったのは、
その中に存在していた複数の勢力と接触し、
日本の戦争目的に沿って活動を支援するという、
当時の日本側から見た情報・工作活動だったのです。
情報は「秘密」だけではない
ここで、明石元二郎という人物を見るうえで、
もう一つ興味深いことがあります。
諜報活動というと、
秘密文書を盗んだり、
敵の内部にスパイを送り込んだりする姿を想像しがちです。
けれど、明石元二郎が扱った情報には、
新聞や通信社などから得られる公開情報も含まれていました。
明石元二郎自身の書簡からも、
ヨーロッパ各国の新聞を読み、
そこから戦況や情勢を把握していたことが分かります。
つまり、
情報を集めることと、
情報を読み解くことは別の仕事だった。
ということです。
たくさんの情報を持っているから、
必ず正しい判断ができるわけではありません。
- どこから出てきた情報なのか。
- 同じ情報を正式な内容として確認できるか。
- 誰かの主張なのか。
- それとも確認された事実なのか。
そうしたことを見極める必要があります。
明石元二郎の仕事を追っていると、
100年以上前の情報戦が、
今の私たちの生活から決して遠いものではないことに気づきます。
日露戦争の後も続いた軍人としての人生
日露戦争が終わった後も、
明石元二郎の軍人としてのキャリアは続きます。
韓国駐箚憲兵隊司令官などを歴任し、
1914年には参謀次長、
1915年には第6師団長となりました。
1918年には台湾総督に就任し、
陸軍大将へ昇進。
翌1919年、
台湾総督在任中に亡くなります。
55歳でした。
日露戦争での諜報活動だけを見れば、
「情報戦の軍人」という印象が強く残ります。
しかし、その後の明石元二郎は、
朝鮮や台湾の統治にも関わることになります。
その仕事については、
植民地統治という当時の日本の歴史そのものと切り離して考えることはできません。
だからこそ、
明石元二郎という人物を、
「日露戦争の英雄」という一つの言葉だけで括るのではなく、
その時代に何を担い、
どのような仕事をしたのかを一つずつ紐解く必要があります。
情報を持つことと、情報を信じること
明石元二郎の人生を調べていると、
改めて「情報」というものについて考えさせられます。
情報は、
情報を持っている人にしか味方しません。
知らなければ、
判断する材料そのものがありません。
だから、情報を集めることは大切。
けれど同時に、
情報を持っているだけでも十分ではありません。
- その情報が、どこから来たのか。
- 誰が伝えたのか。
- 何が事実で、何がその人の解釈なのか。
そこを分けて考えなければ、
情報は簡単に人の判断を動かしてしまいます。
明石元二郎が生きた時代、
情報は電報や新聞、手紙によって伝わりました。
今は、
スマートフォンを開けば、
世界中から情報が入ってきます。
量も、速さも、
当時とは比較になりません。
だからこそ今は、
「情報を持っているか」だけではなく、
〝その情報としての真実をどう捉えるか〟
が問われる時代です。
編集後記
情報は、知っている人間にしか味方しません。
とはいえ、情報をたとえ知っていたとしても、
持っている情報の活かし方次第で敵にも味方にもなる。
だからこそ、
知らないことを知ろうとすることは大切です。
感情を交えた空想で欠けた情報を埋めてはいけない
ただ、そこで気をつけないといけないコトがある。
人は、情報が足りないとき、
その空白を自分の想像で埋めてしまうことがあります。
「きっと、こうだったんだろう」
「たぶん、こういうことだ」
そうやって自分の中でつながった話が、
いつの間にか「事実」になってしまう。
でも、それは事実ではありません。
分からない部分があるなら、
そこを想像で埋めるのではなく、
・もう一つ情報を探してみる。
・別の資料を見てみる。
・違う立場の人の見解を読んでみる。
・その出来事が起きた経緯を調べてみる。
そうやって情報を重ねていくことで、
最初に見えたものとは違う景色が見えてくることがあります。
一つの情報を「受け取る」ことと、
その情報をどう「受け止める」かは、
同じではありません。
同じ出来事でも、
その前後に何があったのかを知るだけで、
人の受け止め方は変わります。
そして、受け止め方が変われば、
そこから導き出す判断も変わってきます。
だから、情報に触れたときに必要なのは、
その先にある情報を、もう一つ取りに行くこと。
知らないことを、
自分の想像で埋めない。
一つの情報だけで、
人や出来事を決めつけない。
ましてや、
その受け取った情報を切り取り、
自分の承認欲求を満たすために
面白おかしく誇張しない。
その誇張した後に世の中に影響した責任が一番重い。
そしてそのことが自分に振りかかってくる事実がある。
だからこそ、
事実と自分がそこから受け取ったものを、
一度分けて考えてみることが求められる。
そして、まだ分からないことがあるなら、
また次の情報を探して、
その先にある情報を、
もう一つ取りに行くこと。
その行動こそが、
自分の思い込みを事実にしないための力になるのではないでしょうか。


