2024年問題を前にして、改めて「小倉昌男 経営学」を読む
1.企業会計原則 継続性(ゴーイングコンサーン)の原則
日本の企業会計を規制する法律は、会社法の「計算」に規定されています。しかし、会計というものは、世界のルールが基本であって、日本の会社法や法人税法は、そのローカルルールに過ぎません。
その世界の標準ルールをまとめたものが、企業会計原則です。
この企業会計原則のトップに定められているのが、7原則と言われるルールで、企業会計の根本的な原則です。
その中に、継続性の原則というルールが定められています。ゴーイングコンサーンの原則と日本では呼ばれています。
ゴーイングコンサーンの原則とは、企業は、永遠の命を持っていることを前提に、企業会計は遂行されなければならない、という、会計という世界にしては、とてもロマンティックなルールです。
つまり、企業は、創業者やオーナーである個人株主・代表取締役などの個人の、限りある命を超えて、永遠に存在するという仮定を、会計の根本原則とせよ、という命令と理解できます。
人間という、限りある命の運命に縛られる存在が、創り出した企業というものは、創造者を超えて、永遠に存在することを前提に稼働させなさい、という、こういうことなのです。
では、何故、企業という存在は、永遠の命を持たなければならないのでしょうか?
今回のコラムでは、なかなか哲学的な、このような問いをたてて、僕なりのソリューションを提示することに挑んでみたいと思います。
2.家督相続・事業承継 何故、人間は、自分の家や企業を残そうとするのか?
日本では世界に類を見ない長期にわたる封建制の歴史を持っており、その中核に、家督相続制度を位置付けてきました。
家督相続は、室町幕府後半に勃発した応仁の乱以降の戦国乱世が、主家の家督をめぐって、家臣団が一揆を組んで相争うことから始まったことに鑑み、天下統一後に、平和と安定を重視する徳川幕府政権が定めた制度です。
この制度は、家督相続権を、長子相続を原則とし、それ以外の子供を、相続から排除することによって、封建制の基本単位である「家」を、ゴーイングコンサーンとして維持しようとした制度と言えます。
まさに、現代の日本が抱える事業承継問題と同様に、組織を永遠に守り継ぐ制度と言えます。
歴史的にみても、組織の永続性を求める傾向を、人間は追求し続けてきました。これは、人間の本性に根ざした傾向であると言えましょう。
それには、勿論、自分の子供に、自分が創った組織の経済的な利便を残してやりたいと考える親心の働いているかと思います。しかし、それ以上に、人間には、自分の人生の成果を後世に残したいという、欲望があるのではないでしょうか?
これが、食欲・性欲・睡眠欲という、生命維持継承のための動物的欲求よりも高次元の、人間ならでは欲望なのではないかと、僕は思うのです。
3.僕の幸福論 ~自分の人生の中で、自分が生きた証として記録を残す
僕自身のことで恐縮ですが、僕は、事業家として事業を構築・成長させようという欲求が、かなり高い人間です。
子供にそれを残したいとか、子孫に残したいということをあまり考えておらず、寧ろ、自分の命が尽きた後も、装置としての組織が稼働をし続け、社会に貢献し、付加価値を生産し続けることを、強く願っているタイプの人間です。
もしかしたら、僕の事業家としての欲望は、女性に子供を産んでほしいと願う性欲のような欲求なのではないかと、時々考えるほどです。
男性の性欲は年齢と共に落ち着いて、美しい女性へのあこがれのような高度な欲求に昇華してゆくものでしょうが、僕の事業意欲は、年齢とともに上がり、その貪欲な追求は、若い頃よりも、年齢を重ねた今の方が、一層強くなったような気がします。
新しい事業も構想を常に考え続け、計画を立案して、プロトタイプ事業で検証し、投資を行って、組織や設備を創り、マ-ケティングを進めて、付加価値を創り出し、それを収益に変える、イノベーションを繰り返し、更に収益を投資して、次の事業の構想を実現しようとする・・・。この輪廻の繰り返し。
僕の事業家としての活動は、上記の輪廻転生の中で、常に巨大化し続けるものです。
僕の周囲の方々からは、いつも、このような活力がどこから湧いてくるのですか?と、聞かれます。
自分で考えるに、それは、年齢とともに上がっていく、尽きることがない性欲のようなものなのだと思っています。
自分がどこまでいけるかを、体力と能力が続く限り追求を続けること
自分の人生の中で、自分が生きた証として、その事業の記録を残すこと
この欲求が、僕の事業家マインドの根本にあるのではないかと思っています。この追求が、僕にとって、最も幸福な生き方になっています。
仲間とつるんで遊んだり、家族と団らんしたり、ゲームなどをして時間を潰したり、といった類の時間を一切切り捨てて、僕が、1年365日休まずに、毎日16時間を超える事業家としての仕事を継続して行うのは、それが、僕にとって、最も幸福な時間だからではないかと、僕は思うわけです。
仕事を苦行のようにとらえて、仕事から逃げた時間に、ささやかな幸福を見つける人生よりも、圧倒的な時間を仕事に費やし、その成果が成長を続けて、それが残っていくことに幸福を感じるほうが、僕は、ずっと、幸せなのではないかと思っているわけです。
4.人は死んでも、その業績の記録は宇宙に残る?
そして、現代の最先端科学が研究する宇宙物理学の中に、僕がとても魅力を感じていることがあります。
それは、宇宙に存在する「量子空間」の中に、ゼロ・ポイント・フィールドと呼ばれる場があり、その場に、宇宙で起きるすべての情報が記録をされているという「仮説」です。
もし、この仮説が科学的に証明されれば、僕たちの生きた人生の成果が、ゼロ・ポイント・フィールドの中に、よいことも悪いことも含めて、すべて情報として記録されることを意味します。巨大なビックデータ―の宝庫が、ゼロ・ポイント・フィールドであるということですね。
人類の最先端の科学である量子物理学は、宇宙の創成の証明に成功しました。
故・ホーキンズ博士が証明に成功した、ビックバン理論です。
ホーキンズ博士は、宇宙が膨張を続けていることに着目し、その膨張の計算から、宇宙がその誕生の前には、ごく小さく、猛烈なエネルギーを保有した点であり、その点が138億年前に、ビックバンと言われる大爆発を起こしたと仮説をたて、その証明に挑みました。このビックバンによって、宇宙空間が生まれ、その爆発のエネルギーが、今でも宇宙を拡大させ続けていることを、物理学的に証明したのが、ホーキンズ博士の研究成果です。
今、我々が生きている地球が存在する銀河系宇宙の創成の神秘が科学的に証明されたのです。
一方、ホーキンズ博士以後の世界の学者が、ホーキンズ博士を乗り越えるため、こう、問いをたてたのです。
「ビックバンの前に何があったのか?」、と。
ホーキンズ博士は、ビックバンの前には、空間は存在せず、時間も存在しないと仮説をたてました。この仮説を乗り越え、ビックバン前の「何か」を証明しようという研究が、今の量子物理学の研究課題の一つです。
138億年より前から存在する「何か」を証明しようという試みです。
そのために、科学者が立てている仮説の一つが、「ゼロ・ポイント・フィールド仮説」と呼ばれる理論です。
ビックバンがおきたということは、量子空間の中に、それを引き起こすことができる膨大なエネルギーが物理的に存在したことを意味します。このエネルギーが蓄えられた量子空間を、ビックバン前の空間として、ゼロ・ポイントからあった空間、つまり、ゼロ・ポイント・フィールドと銘々したのです。
今、このゼロ・ポイント・フィールドの研究が、宇宙物理学や量子力学の分野で、今、進んでいます。
量子力学上のミクロの観点からは、我々が物理学や化学の対象として把握する物質は、「エネルギー」と「波動」から成り立っているとされます。
従って、この宇宙のすべての出来事や変化は、エネルギーと波動から成り立っていると言えます。
ゼロ・ポイント・フィールドは、ビックバンを起こしたエネルギーをそのうちに蓄えてビックバンを可能にし、宇宙空間というものを生み出したとともに、その生み出した宇宙のエネルギーと波動を再度蓄積していると仮説は考えます。
ビックバン理論は、138億年続いている宇宙の膨張はいつか逆転し、宇宙は縮小に入ると予測していますが、その膨張と縮小が、何故、起きるかがまで、現代の科学では明確に証明されていません。
今、科学は、宇宙の膨張と縮小が、ゼロ・ポイント・フィールドに記録された、今の宇宙の前に存在した宇宙のエネルギーと波動によって記録された歴史が、繰り替えされているのではないかという、仮説がたてられています。
数千億年単位で繰り返される宇宙の創成と滅亡は、すべて、ゼロ・ポイント・フィールドの中に蓄えられたエネルギーと波動情報によって予定されている現象なのではないかということです。
そうであれば、宇宙に存在する「量子空間」の中に、ゼロ・ポイント・フィールドと呼ばれる場があり、その場に、宇宙で起きるすべての情報が、波動の形で記録をされているという「仮説」が成り立たなければ説明できません。
つまり、宇宙の中のちっぽけな点であり、奇蹟の惑星でもある地球で起きているすべての事象は、銀河系宇宙の誕生前にあった、前の宇宙の波動の記録に従って、決定づけられているという、壮大な決定論に辿り着くわけです。
138億年前に起きたビックバンの前にあった別の宇宙の中に、地球と同じ惑星があり、その惑星に、僕がいて、その僕が行動した記録が波動としてゼロ・ポイント・フィールドに蓄えられ、それによって、今の僕の運命が決定づけられているという仮説が成り立ちます。
もう、この領域に至ると、量子科学なのか、宗教なのか、はっきりとはわからなくなるような話に至ってしまいますね。
僕らが生きている間に、ゼロ・ポイント・フィールドの正体を人類が証明することができるかどうかは、僕にはわかりません。
でも、この話は、僕には、とても、ロマンティックな話に思えるのです。
僕は、この宇宙(ユニバース)を構成する、ひとかけらの存在として、本能的に、自分の人生の中の、自分が生きた証として、波動情報の形で、ゼロ・ポイント・フィールドに記録を残すために、生きているのではないか、、と。
そして、今から数千億年後に起きる、今の銀河系宇宙の滅亡のあと、そのエネルギーと波動を蓄えたゼロ・ポイント・フィールドが引き起こすビックバンによって、誕生する次の宇宙で、いつか僕が、再生するのではないか、という考えを、僕は持っているのです。
今の僕は、その次の僕の運命を規定し、そして、僕が生み出した企業もまた、その次の宇宙で再生されるのではないか、と。
僕が、自分の企業グループを2015年にブランディングした時、URVという3文字を、グループのブランドの象徴として掲げました。このURVとは、Universal Real Valueのこと。
「宇宙の真実の価値」という意味です。
URVグローバルグループの創業の想いは、グループサイトの冒頭に述べられています
https://urv-group.com/
僕は、このブランドに、URVグローバルグループが生み出す付加価値が、波動情報としてゼロ・ポイント・フィールドに記録され続ける仮説にたって、「真実の価値」と呼ぶことにしたのです。
日本の武士道が、「命を惜しむな。名こそ、惜しめ。」という生き方を説いたのと、同じ境地で、僕は、生きています。僕の命が尽きても、波動の情報としてゼロ・ポイント・フィールドに蓄えられた「名」は永遠に生き残る、という哲学が、武士道の基本精神です。
その「名」が、僕にとっての企業なのです。
武士道の精神からいえば、「命を惜しむな。自分の創った企業こそ、惜しめ。」となるのです。
これが、僕が自分の人生をかけて、企業を創業し続ける生き方の根本理念です。
5.はかないSNS時代にこそ、自分が生きた証を打ち立てる人生を歩むべきではないか?
現代は、SNSにフェイクな情報が溢れる時代です。ファイクニュースを発信する輩は、自分の自己承認欲求を満たすため、嘘であろうが、他人の誹謗中傷や暴露であろうが、目立つ発信をします。
そのような発信が、SNS空間に溢れる今こそ、僕たちは、そのようなファイクな情報をやり過ごして、自分の人生の柱をきちんと打ち立て、人生をかけて、自分が生きた証をしっかりと、宇宙に刻み込むような生き方をすべきなのではないでしょうか?
もし、このような考え方に賛同をされる方がおられれば、是非、御自身の企業を創造し、付加価値を生み出して社会に貢献し、そして、その活動の記録をすべて、宇宙のゼロ・ポイント・フィールドに刻み込むことによって、得られる充実感と幸福感に満たされた人生を送ることを、スタートしてほしいと、僕は願っています。
そんな哲学が、僕の経営コンサルティングというライフワークを支えています。
松本尚典の中小企業経営者支援コンサルティングサービス
https://mbp-japan.com/tokyo/yoshinori-matsumoto/service1/5002501/