低評価の口コミをちらつかせて値引きを迫られた|応じる前に確認したいこと
商品やサービスに不満があれば、改善や返金を求めるのは当然のことです。一方で、要求の内容や伝え方が度を越えれば、受けた側の業務や働く人の心身に影響が及びます。
問題は、その境目がどこにあるのかがはっきりしないことです。「これは正当な苦情なのか、それとも悪質クレームなのか」を、現場のその場で判断しなければならない場面は少なくありません。
判断のよりどころとしてよく使われるのが「社会通念上許容される範囲」という言葉です。ただ、この言葉自体が抽象的なため、かえって迷いが深まることもあります。
ここでは、この物差しがどこから来たものなのか、実際にはどのような要素で判断が動くのかを整理します。あわせて、「悪質」と決めつけてはいけない場面についても触れます。苦情を申し入れた側が「カスタマーハラスメントだ」と言われてしまう場面も、現実には起こり得るためです。
1.「悪質クレーム」に法律上の定義はない
まず前提として、「悪質クレーム」「不当クレーム」という言葉に、法律上の定義規定はありません。刑法にも民法にも、そうした条文は置かれていません。
この点は多くの法律事務所の解説でも指摘されているところで、基準が明文化されていないことが、対応の難しさにつながっています。
もっとも、まったく手がかりがないわけではありません。2026年10月1日に施行される改正労働施策総合推進法は、事業主にカスタマーハラスメント対策の措置を義務づけました。そして、その定義のなかで次の3つの要素が示されています。
- 顧客、取引の相手方、施設の利用者など、事業主の行う事業に関係を有する者が行う言動であること
- 業務の性質等に照らして、社会通念上許容される範囲を超えた言動であること
- それにより労働者の就業環境が害されること
この3つをすべて満たすものが、法律上のカスタマーハラスメントにあたります。「悪質クレーム」という言葉そのものは法律用語ではありませんが、実務上はこの枠組みが判断の共通言語になりつつあります。
苦情がすべてカスハラになるわけではない
見落とされがちですが、この法律に基づく指針(令和8年厚生労働省告示第51号)は、顧客等からの苦情のすべてが該当するわけではないことをはっきり書いています。客観的にみて社会通念上許容される範囲で行われたものは、いわば正当な申入れであり、対策の対象ではありません。
つまり、この枠組みは「苦情を封じるための基準」ではなく、「正当な申入れと、それを超えたものとを分けるための基準」として設計されています。
「社会通念上」という物差しは新しいものではない
なお、この言い回し自体は近年になって突然登場したものではありません。権利行使と恐喝罪の関係について、最高裁昭和30年10月14日判決は、権利を持つ人がそれを実行することは、権利の範囲内であり、かつその方法が社会通念上一般に忍容すべきと認められる程度を超えない限り違法の問題を生じないが、その範囲・程度を逸脱すれば違法となり恐喝罪が成立することがある、という考え方を示しています。
正当な言い分があることと、その通し方が許される範囲に収まっていることは、別に評価される——この構造は、古くから共通しています。
2.判断は「内容」と「手段・態様」の2つの軸で行われる
社会通念上許容される範囲を超えているかどうかは、大きく2つの軸から検討されます。
- 内容の軸:何を求めているか(要求の中身が妥当か)
- 手段・態様の軸:どのように求めているか(伝え方・態度・進め方が相当か)
厚生労働省が2022年2月に公表した「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」は、要求内容の妥当性に照らして、その要求を実現するための手段・態様が社会通念上不相当なもの、という整理をしていました。手段・態様に軸足を置いた書き方です。
これに対し、2026年の施行に向けて示された指針は、「言動の内容」と「手段や態様」の2つの観点から判断するとし、いずれか一方だけが範囲を超えている場合でも該当し得るとしています。伝え方が穏やかでも要求内容が過大であれば問題になり得ますし、要求内容自体は妥当でも伝え方が度を越えれば問題になり得る、ということです。
言動の性質による違い
厚生労働省のマニュアルは、行為を性質によって2つの層に分けて例示しています。この整理は実務でも使いやすいものです。
| 分類 | 具体例 |
|---|---|
| 要求内容が妥当かどうかにかかわらず、不相当とされる可能性が高いもの | 身体的・精神的な攻撃、威圧的な言動、土下座の要求、継続的・執拗な言動、拘束的な言動(不退去・居座り・監禁)、差別的・性的な言動、従業員個人への攻撃や要求 |
| 要求内容の妥当性に照らして、不相当とされる場合があるもの | 商品交換の要求、金銭補償の要求、謝罪(土下座を除く)の要求 |
下の層に並んでいるのは、いずれもそれ自体は正当な権利行使になり得るものです。商品に不備があれば交換を求められますし、損害が生じていれば補償を求められます。だからこそ、この層は「求めたこと」ではなく「求め方」や「求めた量」で評価が変わります。
一方、上の層は、要求内容が正しいかどうかとは切り離して評価されやすい行為です。言い分が正しいことは、土下座を求めたり、担当者個人を攻撃したりする理由にはならない、という考え方です。
3.同じ要求でも評価が変わる——範囲を動かす6つの要素
「社会通念上許容される範囲」が分かりにくいのは、それが固定的な線ではなく、事情によって位置が動くためです。実際の判断では、次のような要素が影響します。
① 損害と要求の釣り合い
どの程度の不利益が生じたのかと、求めている内容とが釣り合っているか。競合する解説でも指摘されているとおり、取引の規模が大きく相手方の不利益も大きい場面では、事業者側にも相応の注意深さが求められます。逆に、少額の商品について実損を大きく超える金銭を求める、といった場合には、要求内容が過大と評価されやすくなります。
不快な思いをしたこと自体を理由に、多額の賠償や土下座を求めるといった要求も、この釣り合いの点で説明が難しくなります。
② 手段が目的とつながっているか
その要求は、問題の解決に必要なものか。返金や修理、再発防止策の説明は解決に直結します。これに対し、担当者の解雇を求める、謝罪文の公表を求める、実現できないことを求めるといった要求は、事案の解決とは結びつきにくく、不相当と評価されやすい類型です。
③ 繰り返しの回数と時間
1回の強い抗議と、毎日繰り返される架電とでは、評価が変わります。必要な説明が終わった後も同じ要求が反復される、長時間その場にとどまるといった事情は、範囲を超える方向に働きます。
もっとも、指針は、強い苦痛を与える態様であれば1回でも該当し得るとしています。「複数回でなければ問題にならない」と考えるのは正確ではありません。
④ 場所と人目
同じ言葉でも、電話で伝えるのか、他の来店客がいる店頭で大声で伝えるのか、相手の自宅や職場に出向いて伝えるのかで、評価は変わります。人目のある場所での言動は、業務そのものへの支障や名誉への影響も伴いやすくなります。
⑤ 向けられている相手が組織か個人か
会社や店の対応について申し入れることと、応対した個人の人格・容姿・私生活を攻撃することは別です。従業員個人への攻撃や、個人に対する要求は、要求内容の当否と切り離して不相当とされやすい行為として例示されています。
⑥ そこに至るまでの経緯
指針は、事業主側や労働者側の不適切な対応が、顧客等の言動の原因や背景になっている場合にも留意が必要である、という趣旨を明記しています。受けた側にまったく落ち度がなかったのかという視点も、判断のなかに含まれるということです。
この点は、対応を検討する側にとっては重要な確認事項になります。相手の態度だけを見て評価すると、判断を誤ることがあります。
4.「悪質」と決めつけてはいけない場面
線引きの話は、どうしても「どこからがアウトか」に関心が向きがちです。しかし、正当な申入れまで悪質クレーム扱いしてしまうと、それ自体が別の問題を生みます。2026年10月の義務化を受けて対応方針を整える動きが広がるなかでは、この点はより意識される必要があります。
次のような事情は、それだけでは悪質と評価する根拠になりません。
- 口調が強い、声が大きいというだけ:感情的になること自体は、多くの人に起こり得ます。一時的なもので、説明を受けて収まる場合も少なくありません。
- 返金・交換・謝罪を求めていること自体:これらは正当な権利行使になり得るものです。求めた事実ではなく、内容の相当性と求め方で判断されます。
- 複数回連絡してくること自体:回答が届いていない、説明が足りていない場合に、重ねて確認するのは自然な行動です。
- 「消費生活センターに相談する」「弁護士に相談する」と述べること:これらは権利行使の予告であり、それ自体が直ちに違法となるものではありません。
- 事実に基づく口コミやSNSへの投稿自体:感想や事実の投稿は本来自由な行為です。ただし、投稿するかどうかを支払いの条件として持ち出すなど、要求を通す道具として使われた場合は評価が変わります。
- 障害を理由とする合理的配慮の求め:指針は、障害者差別解消法に基づく合理的配慮を求めること自体は該当しないと明記しています。事業者には合理的配慮の提供義務があることにも注意が必要です。
また、苦情を申し入れた側が、突然「カスタマーハラスメントだ」「悪質クレーマーだ」と言われ、話し合いを打ち切られてしまうこともあります。そのようなときは、求めている内容と、これまでの伝え方を、いったん書き出して整理してみることをお勧めします。求めていることに法的な根拠があり、伝え方も穏当な範囲に収まっているのであれば、申入れを続けること自体に問題はありません。
5.線を越えたときに問題になり得る法律
範囲を明らかに超えた場合には、法的な責任が問題となることがあります。代表的なものを整理します。
| 行為の例 | 問題となり得る規定 |
|---|---|
| 危害を加える旨告げる | 脅迫罪(刑法222条/2年以下の拘禁刑または30万円以下の罰金) |
| 義務のないことを無理に行わせる(土下座、謝罪文の強制など) | 強要罪(刑法223条/3年以下の拘禁刑) |
| 害を告げて金銭を交付させる | 恐喝罪(刑法249条/10年以下の拘禁刑) |
| 退去を求められても居座る | 不退去罪(刑法130条後段/3年以下の拘禁刑または10万円以下の罰金) |
| 大声を出す、店頭を占拠するなどして業務を妨げる | 威力業務妨害罪・偽計業務妨害罪(刑法233条・234条/3年以下の拘禁刑または50万円以下の罰金) |
| 事実を示して社会的評価を低下させる | 名誉毀損罪(刑法230条)ほか |
民事では、損害が生じていれば不法行為(民法709条)に基づく賠償請求の対象となり得ます。店舗側には、施設管理権に基づいて退去を求めることも考えられます。指針は、特に悪質な事案への対処として、警察への通報、警告文の発出、法令の制限内でのサービス提供の拒否、出入禁止、民事保全法に基づく仮処分の申立てを例示しています。
なお、これらはいずれも「線を越えた場合」の話です。刑事罰が視野に入るのは、かなり程度の重い場面に限られます。
6.判断に迷う段階でやっておきたいこと
実際には、白黒がはっきりしない段階が最も長く続きます。その時期にできることを挙げます。
- その場で「悪質だ」と断定しない:判断がつかない相手には、通常の対応を続けながら判断材料を集める、という進め方が現実的です。断定が早すぎると、正当な申入れを取りこぼします。
- 応じられる部分と応じられない部分を分ける:要求は一つの塊ではありません。正当な部分には誠実に対応し、応じられない部分についてはその旨を明確に伝える、という切り分けが基本になります。
- 記録を残す:日時、所要時間、場所、人数、求められた内容、実際に発せられた言葉を、できるだけそのまま残します。後から評価する際、この記録の有無が判断を大きく左右します。
- 一人で抱えず、窓口を絞る:応対者を交代させる、複数名で対応する、連絡先を一本化する。担当者個人が矢面に立ち続ける状態を長く放置しないことが重要です。
- 迷う前に基準と手順を決めておく:どの時点で責任者に代わるのか、どの段階で警察に連絡するのか。あらかじめ社内・店内で決めておくと、現場での判断のぶれが減ります。2026年10月からは、こうした方針の明確化や相談体制の整備が事業主の義務となります。
まとめ
- 「悪質クレーム」に法律上の定義はないが、2026年10月施行の改正法とその指針が「社会通念上許容される範囲を超えた言動」という枠組みを示している。
- 判断は「要求の内容」と「手段・態様」の2つの軸で行われ、一方だけが範囲を超えている場合も該当し得る。
- 同じ要求でも、損害との釣り合い、手段の必要性、回数と時間、場所、向けられた相手、そこに至る経緯によって評価は動く。
- 口調が強い、返金を求めている、何度か連絡してくる——といった事情だけでは、悪質と評価する根拠にはならない。
- 迷う段階では断定を急がず、応じられる部分と応じられない部分を分け、記録を残しながら対応する。
線引きに悩む場面は、受ける側にとっても、申し入れる側にとっても負担の大きいものです。判断がつかないまま対応を続けると、必要のない譲歩をしてしまったり、逆に正当な申入れを退けてしまったりすることがあります。早い段階で第三者の視点を入れることで、選択肢が整理しやすくなります。


