【不当要求対応】相手が匿名・偽名のまま要求してくる|誰に返答するのか
「患者さんやご家族から強い言い方をされることはありますが、あれも法律でいう『顧客』に当たるのでしょうか」。クリニックの院長から、こうしたご質問をいただくことがあります。一方で、保育園を運営される方からは「保護者への対応は保育の一部だと考えてきたので、ハラスメントという言葉を使うことにためらいがある」というお話も伺います。
カスタマーハラスメントを「お客様からの著しい迷惑行為」と説明することは、それ自体誤りではありません。ただ、医療、介護、保育、教育のように、目の前の相手を「お客様」という言葉で呼びにくい業種では、その説明だけでは自分の現場に当てはめきれない部分が残ります。相手は患者であり、利用者であり、保護者です。呼び方が違うと、対象になるのかどうかも違うのではないか、という疑問が生じやすいところです。
この記事では、患者・利用者・保護者といった相手が指針のいう「顧客等」にどう位置づけられるのか、そして業種によって当てはめがどう変わるのかに絞って整理します。義務の全体像や3つの要素、事業主が講ずべき措置の一覧は別の記事に、正当な申入れとの線引きの考え方も別の記事に譲ります。
「顧客等」の例に、利用者とその家族が挙げられている
指針が示している範囲
2026年10月1日に施行される改正労働施策総合推進法33条1項により、事業主には職場におけるカスタマーハラスメントについて雇用管理上の措置を講じる義務が生じます。その具体的な内容を示しているのが「事業主が職場における顧客等の言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」(令和8年厚生労働省告示第51号。以下「指針」といいます)です。
指針は「顧客等」を、顧客、取引の相手方(今後取引する可能性のある者を含みます)、施設の利用者その他その事業主の行う事業に関係を有する者と整理しています。そのうえで、含まれる者の例として、商品を購入しサービスを利用する者、事業に関する内容等について問い合わせをする者、取引先の担当者、契約締結に向けた交渉の担当者、施設・サービスの利用者及びその家族、施設の近隣住民を挙げています。
患者や施設の利用者、そしてその家族は、指針が挙げる例そのものの中に書き込まれています。呼び方が「お客様」でないことを理由に対象から外れる、という整理はとりにくいところです。
契約の相手方でなくても外れるわけではない
厚生労働省が公表した「ハラスメント防止措置義務規定等における解釈事項について」(令和8年4月24日。以下「解釈事項」といいます)は、まだ商品を購入しておらず契約関係が発生していない者からの言動も、3つの要素を満たせば該当すると述べています(問1)。また、今後顧客になることが想定されない近隣住民からの言動についても同様としています(問2)。
この点は、医療や福祉、教育の現場で意味を持ちます。診療契約の当事者は患者本人で、実際に窓口に来られるのはご家族というケースがあります。保育所や学校の場合、保護者が施設と契約関係にあるとは限りません。契約書に名前が載っていないから対象外、という切り分けは想定されていないと考えられます。
業種で変わるのは「対象かどうか」ではなく当てはめ方
「業務の性質その他の事情に照らして」という条件
カスタマーハラスメントの3つの要素のうち2つ目は、顧客等の言動が「その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもの」であることです。解釈事項も、この判断では言動の内容と手段や態様の双方に着目したうえで、言動の目的、経緯や状況、業種・業態、業務の内容・性質、態様や頻度、労働者の属性や心身の状況、行為者との関係性などを総合的に考慮するのが適当だとしています(問4)。
つまり、業種によって変わるのは対象に入るかどうかではなく、どこから範囲を超えると評価されるかという当てはめの部分です。
説明や相談を求めること自体は含まれない
医療、介護、保育の現場では、不安や心配から繰り返し説明を求められる場面が日常的に生じます。正当な申入れや苦情はカスタマーハラスメントに当たらないというのが指針の整理であり、障害者差別解消法に基づく合理的配慮の求めそれ自体も該当しないと明示されています。
また指針は、事業主や労働者の側の不適切な対応が言動の原因や背景になっている場合もあることに留意が必要だとしています。説明が足りていたか、対応の窓口が分かりやすかったかといった点は、評価の前提として振り返っておきたいところです。
医療機関の場合
患者本人とご家族
患者は施設・サービスの利用者に当たり、ご家族も指針の例に含まれます。関連して、解釈事項はセクシュアルハラスメントに関する問いの中で、性的な言動を行う者には顧客のほか患者やその家族、学校における生徒等もなり得ると述べています(問38)。医療機関の日常に登場する相手が、制度の想定の中に置かれていることが分かります。
訪問診療や訪問看護のように、労働者が患者の自宅に出向くサービスもあります。解釈事項は、通常就業している場所以外でも業務を遂行する場所は「職場」に含まれ、訪問して実施するサービスの利用者及びその家族も顧客等に含まれるとしています(問3)。
応召義務との関係
医療機関では、医師法19条1項の応召義務との関係が気になるところです。この点については「応招義務をはじめとした診察治療の求めに対する適切な対応の在り方等について」(令和元年12月25日医政発1225第4号)が考え方を整理しています。同通知は個別事例の一つとして患者の迷惑行為を挙げ、診療・療養等において生じた又は生じている迷惑行為の態様に照らし、診療の基礎となる信頼関係が喪失している場合には、新たな診療を行わないことが正当化されるとしています。診療内容そのものと関係のないクレーム等を繰り返し続ける場合などが例として示されています。
もっとも、同通知は緊急対応が必要かどうかを最も重要な考慮要素としており、病状が深刻な場合には別の整理になります。カスタマーハラスメント対策の義務と応召義務は別の制度であり、一方の結論がそのまま他方の結論になるわけではありません。
介護・障害福祉の場合
利用者とご家族、そして訪問先
介護や障害福祉のサービスでは、利用者本人とご家族の双方が顧客等の例に含まれます。訪問系のサービスでは利用者の自宅が「職場」に含まれることになり、その場に居合わせるご家族からの言動も想定されます。職員が一人で訪問する場面が多い分、その場でどう動くかをあらかじめ決めておく意味が大きい分野だといえます。
先行してきた枠組みとの関係
この分野では、以前からハラスメントへの手当てが置かれてきました。介護保険の運営基準にはハラスメント防止のための措置が定められており、厚生労働省も介護現場向けのマニュアルや研修用の手引きを公表しています。また社会福祉法82条は、社会福祉事業の経営者に対し、利用者等からの苦情の適切な解決に努めることを求めており、同法83条に基づき都道府県社会福祉協議会に運営適正化委員会が置かれています。
苦情を受け止める仕組みと、職員の就業環境を守る仕組みは、どちらかを選ぶ関係ではありません。既存の苦情解決体制はそのまま残り、そこに職員を守る側の措置義務が加わる、という二階建ての整理になります。
症状に由来すると考えられる言動
認知症や障害の特性に由来すると考えられる言動をどう扱うかは、現場で最も迷いが生じる部分です。解釈事項は、消費者の心理や障害特性等についての資料の配布や研修の実施など、労働者が顧客等への理解を深めるための取組を望ましいものとして挙げています(問7)。一律に評価してしまうのではなく、切り分けの視点を組織として持っておくことが求められます。他方で、職員の安全確保はそれとは別に必要であり、一人で抱えさせない体制づくりは並行して進めることになります。
保育所・学校の場合
保護者の位置づけ
保育所や学校では、子どもがサービスの利用者に当たり、保護者はその家族という位置づけに近くなります。教育委員会が作成している保護者対応のマニュアルの中にも、児童生徒及びその保護者を、教職員が担当する行政サービスの利用者等として整理している例が見られます。
公立か私立かで枠組みが分かれる
注意しておきたいのが、公立と私立で適用の枠組みが分かれる点です。地方公務員にはこの措置義務の枠組みが及ぶ一方、国の一般職の職員については適用が除外され、別の枠組みで扱われます。公立の学校や保育所、公立病院の職員は地方公務員に当たりますので、設置主体によって根拠となる規程が変わることになります。
学校では業務の切り分けも進んでいる
文部科学省は、保護者等からの過剰な苦情や不当な要求への対応について、教育委員会の取組事例やマニュアルを集約して公表しています。また2025年9月に改定された業務量の適切な管理に関する指針では、こうした対応が学校以外が担うべき業務として整理されました。誰が対応するのかを組織として決めておくという発想は、他の業種にも共通します。
業種別の当てはめを整理すると
ここまでの内容を、業種ごとに一覧にすると次のようになります。
| 業種 | 「顧客等」に当たる典型 | 押さえておきたい点 |
|---|---|---|
| 医療機関 | 患者本人とその家族、付き添いの方 | 応召義務の考え方とは別の制度として整理する |
| 介護・障害福祉 | 利用者とその家族、訪問先の同居家族 | 訪問先も職場に含まれる。苦情解決の仕組みと併存する |
| 保育所・幼稚園 | 園児の保護者、送迎を担う家族 | 子どもの利益と職員の就業環境を分けて考える |
| 学校 | 児童生徒の保護者、地域の関係者 | 公立か私立かで適用の枠組みが分かれる |
いずれの業種でも、対象に含まれるかどうかの入口は共通しており、違いが出るのはその先の当てはめと、業種ごとに置かれた別の制度との関係です。
対象になることと、断れるかどうかは別
法改正が事業主に与えたもの
解釈事項は、改正法は事業主に雇用管理上必要な措置を講ずることを義務付けるものであり、事業主が何らかの措置を行う法的な権利や権限を新たに設けるものではないと述べています(問18)。
この一文は実務上重要です。ある言動をカスタマーハラスメントに当たると整理できたとしても、そのことから直ちに診療を断れる、契約を解除できる、登園をお断りできる、という結論が導かれるわけではありません。
何を根拠に判断するか
実際に関係をどうするかは、医療であれば応召義務の考え方、介護であれば契約書や重要事項説明書の定め、保育や学校であればそれぞれの制度に沿って検討することになります。指針は、特に悪質と考えられる場合の対処として、警告文の発出、施設への出入りの禁止、警察への通報などを例示していますが、解釈事項は、方針を定めたうえで事案ごとに措置を講じるかどうかを判断する必要があるとしています(問16)。
避けたい進め方
この分野のご相談を伺っていると、次のような進め方でかえって対応が難しくなっている例が見られます。
- 相手の呼び方だけを見て、患者や保護者は対象外だと決めてしまうこと。
- 一つの発言だけを取り出し、それまでの経緯や説明の状況を確認しないまま結論を出すこと。
- 判断と対応を職員個人に任せ、組織として記録も共有もしないこと。
- カスタマーハラスメントに当たるという評価を、そのまま診療の打ち切りや契約解除の理由に置き換えること。
- 方針や対処の内容を現場の職員にだけ伝え、事務部門や後方部門には共有しないこと。
最後の点について、解釈事項は、顧客対応が発生しない部署の労働者も含め、雇用する労働者の全てに方針を周知・啓発する必要があるとしています(問9)。
よくあるご質問
患者本人ではなく、ご家族からの言動でも対象になりますか。
指針は顧客等の例として施設・サービスの利用者及びその家族を挙げていますので、ご家族からの言動も、3つの要素を満たす場合には対象になり得ます。契約の当事者かどうかは、判断の入口を分ける事情としては置かれていません。
子ども本人からの言動はどう考えればよいですか。
子どもはサービスの利用者に当たり得ますが、実際の評価は業務の性質その他の事情を考慮して行われます。教育や保育、療育の場面では指導や支援の関係が前提になりますので、大人からの言動と同じ物差しをそのまま当てることは難しいと考えられます。まずは、該当するかどうかが微妙な場合でも職員が広く相談できる体制を整えておくことが出発点になります。
窓口に立たない事務職員にも周知が必要ですか。
必要とされています。解釈事項は、顧客対応が発生しない部署に所属する労働者に対しても方針の周知や研修が必要であり、対処の内容についても、社外の人と接する機会の有無を問わず全ての労働者に周知する必要があるとしています(問9)。
まとめ
- 患者や施設の利用者とその家族は、指針が挙げる「顧客等」の例に含まれています(令和8年厚生労働省告示第51号)。
- 契約関係がない相手や、今後顧客になることが想定されない相手も、それだけで外れるわけではありません(解釈事項 問1・問2)。
- 業種によって変わるのは対象かどうかではなく、業務の性質その他の事情に照らした当てはめの部分です(同 問4)。
- 訪問看護や訪問介護のように、利用者の自宅が「職場」に含まれる場面があります(同 問3)。
- 医療では応召義務の考え方(令和元年12月25日医政発1225第4号)、福祉では苦情解決の仕組み(社会福祉法82条・83条)が別に置かれています。
- 公立の施設や学校の職員には地方公務員として枠組みが及び、国の一般職の職員については適用が除外されています。
- 対象に当たると整理できることと、診療や契約をどうするかは、別の判断として検討する必要があります(同 問18)。
医療・介護・保育の現場での体制づくりをご検討中の方へ
弁護士法人若井綜合法律事務所では、事業者の方からのご相談を池袋と新橋の事務所でお受けしています。患者・利用者・保護者への対応は、業種ごとの制度と今回の措置義務が重なる領域であり、どの枠組みで考えるかによって取り得る対応が変わります。
施行に向けて方針や対処の内容を整えておきたいという段階のご相談も、すでに個別の対応に苦慮されている段階のご相談も承っています。現場の記録や経緯を拝見しながら、どこまでが説明を尽くすべき場面で、どこから組織として線を引く場面かを一緒に整理してまいります。


