地震が起きたら大阪平野に安全な場所はない。
地震発生後3日目より調査開始
6月18日に地震が発生し、19日になって大阪府建築士会より、応急危険度判定士の参加要請がメールで送られて来ました。
日常的な仕事以外特に予定の入っていなかった20~22日の三日間参加可能と返事をして次の連絡を待ちましたが、建築士会も情報が錯綜しているのか、それ以降何の連絡も無く、19日の遅くに取り合えず20日の判定士の活動は見送られ、21日と22日の二日間お願いしますとの連絡が入りました。
次のメールで、両日とも午前9時半に茨木市役所に集合しなさいとの事でしたので、ヘルメット・軍手・下げブリ・コンベックス・水筒・etcをかき集め準備に入りました。
6月21日茨木市役所
電車で行こうか車で行こうか迷いましたが、茨木市のどの箇所を調査するのか事前に聞かされていなかった為、どこにでも行けるよう車で行く事に。
交通渋滞が思いのほか酷く、市役所に着いたのが9時30分ジャスト。集合に指定された一階第三会議室に到着すると既に点呼が始まっていました。市の職員さんは地震発生後昼夜を問わず対応に追われている為か、男女関係なしに目が充血しておられ、疲労が蓄積してるのが見て取れました。
応急危険度判定士には、私の様な建築士会や各団体から召集された民間の判定士以外にも、兵庫県・京都府・鳥取県と云った行政団体からの応援も見受けられ、会議室の狭さのせいか熱気が感じられました。
市の職員の方から、挨拶があり、調査に際しての注意、不測の事態に遭遇した場合の対処法、被災者の方への対応等の一通りのレクチャーがありましたが、文字通り不測の事態になりましたので、中々要領を得ません。
二人一組の斑分けがあり、同じく民間応急危険度判定士のNさんと市役所より南西方面の被災地を回る事になりました。
応急危険度判定士の仕事
応急危険度判定士の作業は、建物を目視調査や簡単な計測器具で調査を行い、緑・黄・赤(それぞれ調査済み・要注意・危険)の判定用紙を建物に張り付ける作業です。
判定用紙そのものには避難を強要したり、罹災証明を発行すると云った強制力や執行能力はありませんが、その建物の被災後具合は分かり易く表示する事により、余震等の災害が再び発生した場合の注意喚起を促し、二次災害を防ぐ為に貼られるものです。
ただただマニュアルに沿って事務的に処理すれば良いと云うものでもなく、被災者の過剰な不安を取り除いたり、目についた危険性を指摘したり、復旧に向けての作業手順を示したりする事も行います。
カーナビを使えば、ピンポイントで被災家屋を特定出来るため移動は大変便利だった。地震の規模等により交通事情が悪くなる可能性があるので、徒歩や自転車の方が効果的な場合もあるが今回に限っては楽でした。
地震規模の割に酷かった建物への影響
予想通りですが、木造家屋の被害が目につきました。筋交い等の入った耐力壁が地震によりダメージを受け、外側のモルタルが割れて浮き上がってる現場を多数見ました。
また家の角、出隅部分の柱が衝撃で一旦持ち上がり、再度土台に柱がぶつかった衝撃で基礎が壊れている建物も多く見受けられました。
柱が持ち上がったり、筋交いが破断する様な変形をした建物は、同規模の余震が来た場合前回の様に耐える事が出来ません。
被災地の方で、家に少しでも心配がある場合は、応急危険度判定や耐震診断を受けて下さい。
思い込みや素人判断は危険です。