作業服を着た営業マン
住宅には当たり前の様に玄関があります。日本人には当たり前の玄関ですが、世界を視野に入れれば玄関があるのが異常で、普通は玄関は無いのです。
では何故日本に玄関が発達したのでしょうか?江戸時代の民家を見ると土間が必ずあります。家の中の屋外空間と云った感じです。土間での接客応対が日常でした。
他人を家に招く事を、家へ上げると云う表現を用いますが、これは土間から上がることを指しており、土間までは外部空間との認識があったようです。
軒先で立ち話しも変なんでと招き入れるのが玄関です。玄関まで人を入れても家へ上げた訳ではないと云う微妙なニュアンスを日本人は好むようです。
靴を脱いでしまうと、もてなしもしっかり考えておかないと恥をかく。かといって立ち話しで済ませない事情を玄関で行うのでしょう。
それとは別に応接間が大正時代中ごろから日本の民家に広がりました。これは他人を家に上げてもてなす空間ですが、居間までは通さないと云う感情が垣間見えます。しかし、日本には定着しなかったのか現代の住宅から応接間は消えています。人をもてなす空間として、家の中の最も便利で、環境の良い空間を残しておくゆとりが無くなったせいでしょうか。
私は玄関の使い方を靴を脱ぐだけの空間ではなく、人をもてなす空間として発展させる余地が残っているのではないかと考えています。来客の多い家でも玄関先で済ませることが出来れば、上がりこまれて長居される様な家族への負担はなくなります。玄関を人をもてなす空間として間取りを組み立てるのも面白いでしょう。