作業服を着た営業マン
血液型判断の様に、先入観で人を見るのは、するのもされるもの嫌いですが、「そう云う人っているよね」と思ってしまう分類法があります。理系人間と文系人間です。
生まれたときは殆ど差は無いと思うのですが、育った環境や影響を受けた人々によって、人は理系的な思考と文系的な思考に分かれていきます。
極端な人はそう多くはいません。殆どの人がそのどちらも持ち合わせます。どちらかと言えばどちらかの思考で行動すると云う程度です。
極端な理系人間を例に挙げるとアインシュタインがそうです。誰もが疑う余地の無い大天才ですが、彼は人前でのスピーチが大の苦手でした。結婚式でスピーチを依頼されるといつもバイオリンを弾いてお茶を濁していました。理系人間は人と対話するよりも、物言わぬモノと対話する能力に優れています。自動車のエンジン音を聞いただけで、調子がいいか悪いか、どの部分が悪いのか判る人は理系人間です。
極端な文系人間はヒトラーです。彼もある意味大天才です。弁舌が爽やかで、聴衆の心をわしづかみします。聞いた人々は、この人の為なら死んでもいい、この人の役に立とうと心から思ってしまいます。モノよりも人と対話して人を束ねることを好みます。
政治家・軍人は文系人間的要素の非常に強い人達です。議論好きで理念・行動規範を重視します。人を動かそうと思えば、理念・行動規範は欠かせません。国をまとめるのは、この手の人間でないと不可能です。
口下手な理系人間が何を言っても人々は関心を示しません。口下手と云うだけで「何を云っているのか判らない」「発想が突飛で現実性がない」とか評論されてしまいます。
なるのであれば文系人間・・・。今の日本人は意識するしないに関わらず、そう思っている人が多いのではないでしょうか。大学でも理系離れが問題視されて随分と時が流れましたが、未だ解消されていません。
人のトップに立つのは文系人間の方が優れています。しかし、文系人間には致命的な欠陥があります。それは何か、「創造力」です。新しいものを作り出す能力が欠如しています。
何も無いところからカタチあるものを作り出すのは理系人間の専売特許です。理系人間の作り出したものを利用してしか文系人間は行動に移せないのです。
ヒトラーに少しでも理系のセンスがあれば、独ソ戦なんて後回しにして、V2号と原爆開発を最優先させたでしょう。そうすれば戦わずして世界を征服出来たはずです。
文系人間は原発事故の様に今まで例の無い事故が発生しますと、処方箋を求めて右往左往しています。当時の政府中枢は殆ど理系のセンスが欠如していました。トップだった人は工学系の学校を出たと云っていますが出ただけで、その後の社会生活で学んだ知識や思考を一切捨て去っています。
冒頭に述べましたが、極端に理系・文系と判る人は多くはいません。どの人も両方のセンスを兼ね備えています。悲しいかな未曾有の災害が発生した時の政府が、理系センスの全く無い人々だったと云う事です。