作業服を着た営業マン
間取りの提案書を作成して、お客様に説明に行きますと、最初は大変興味を惹かれ納得したご様子なのですが、日を置いて、再び打ち合わせに行くと、家相が悪いと他人に云われたと気にする人がいます。
家相・風水って一体何の為に存在するのでしょうか?人々の心の安寧を求めるために定められた宗教の様なものなのでしょうか?
もしそれであって、家相・風水を信仰する気があるのなら、使い勝手の悪さや日当たりの悪さ等の不幸を悔いない事です。その為に運気が上昇して、家族の災いが避けられると信じられるのなら悔いない事です。
去年一年様々な災害があり、直接・間接を問わず日本人は大きな災いに直面しましたが、新年になると誰もがこぞって初詣に向かいました。お宮さんや仏さんを信仰しているにも関わらず、こんな災いを受けたのだからもう初詣はしないと考えた人は、参拝客の数に変化の無かった事を見ると、殆どいなかった様です。それは、参拝しないともっと恐ろしい目に遭う、と云った恐怖心がそうさせるのでしょうか?ではないですよね。それが邪教でない真の宗教だとおもうのです。
しかし、他人から家相を押し付けられることに、おかしいんじゃない?と云う気持ちがあるのなら信用しないことです。日本人の殆どが信仰していない宗教で、その信者にとやかく言われても無視した方が幸せでしょう。
また、家相や風水は宗教ではなく、統計学だと云う人もいます。
昔から統計的に、こうした方が幸せになるから、そうする。統計的にこうしたら不幸になるから、そうしない。と云ったことを体系的にしたものと説明されます。統計学と純粋に考えている人は、人の幸福度をどの様に計っているのでしょうか?
私は幸と不幸は表裏一体のものだと考えています。同じ事象でも、どう感じるかで幸せにも不幸になります。今日本で原発が無くなると生活が出来ないと大騒ぎしていますが、ブータンの国民がそれを聞いたらどう感じるでしょうか。私もまだブータンは行ったことがありませんので、実際の国情は知りませんが、まだ電気も通っていない地域があると聞きます。それでも国民の8割以上が幸福だと感じているそうです。日本人はブータン人ではありませんので、同じ事をしても幸福になれるとは思いませんが、同じ事象でも感じ方一つで幸福にも不幸にもなるのは事実かと思います。その結果、人の幸福感なんて統計で計れないと確信しています。
風水・家相は、人の心の問題でそこのことに対して間違いも正解もありません。家相・風水を信じたければ信じれば良いし、嫌なら信じない事です。