食博の歩き方
熱気の中に身を置いて、汗をかくのを楽しみながら、さっと行水してすっと寝る。
今年の夏の快眠法を実践しようと、宵山にでかけました。
第二京阪が近畿自動車道とつながって京都へ行くのが便利になりました。鴨川東を下りれば京都駅は目の前です。京都駅の南側には低料金の駐車場が散在し、そこで車をあずけます。
車を下りた途端に、真夏の暑気に包まれて早くも額に汗が滲んできました。京都駅を素通りして、地下鉄で四条へ。駅に着くと北出口が制限されていて南出口へ誘導されます。
この日の人では警察発表で45万人。地上へ上がると烏丸通りはもう歩行者天国になっていて、しかも人の波で身動きがとれません。
交差する四条通りまで100mちょっとなのに、薙刀鉾に辿り着くまで20分かかりました。その頃には汗だくで、首に巻いたタオル地のハンカチもぐっしょりと濡れています。
山鉾は辻々に駒形提灯で飾られ、人々の目を楽しませます。四条通りに鎮座している薙刀鉾や函谷鉾は、やはり凄い人気でゴブラン織りの山鉾飾りも艶やかに人の目を楽しませます。大通りにあり背が高く見栄えのする山鉾も素晴らしいですが、小さな辻にひっそりと飾られている山鉾も、京都の風情を滲ませています。新町通りにある船鉾は鉾の舳先は金色の鷁(げき)と呼ばれる瑞鳥を飾り,舵は黒漆塗螺鈿の飛龍文様で飾り、船端には朱漆塗の高欄をめぐらし、唐破風入母屋造りの屋根を持った高楼となっています。傍で浴衣姿の稚児さんたちが、声を揃えてお札を売る光景が、無性に懐かしく時の流れを止めてしまいました。何世代も続いているのだろうこの光景が、京都と云う特異な町の性格もあいまって祇園祭独特の情感を漂わせます。
そんな小さな山鉾を巡っているうちに太子山に辿り着きました。その太子山の前でバイオリンとチェロとオーボエのアンサンブルでクラシックミニコンサートをしています。
日本の伝統の極みである祇園祭りとヨーロッパの伝統音楽。奇妙な組み合わせがまたマッチしてしまうのが京都の町です。日本で初めて市電が走ったのも京都です。古さにこだわる一方で新しいものを求める京都の革新性が新たな祇園祭りを演出しています。
京町屋の中で聞くバロックの音色に全く違和感を感じず時間の経つのを忘れていました。
違和感と云えば、最近の京町屋。
京都の町も他の街と同様に市街化の波が押し寄せています。他都市に比べ超高層ビルは無いものの、木造家屋はどんどん取り壊されています。
体裁だけを残す為、通りに面するファサードは、取って付けた様にコンクリートの壁に長屋風の瓦を乗せていますが、そこに空蝉の哀愁を感じてしまうのは私だけでは無いと思います。
単に、カタチだけを模倣しても、そこには京都らしさがありません。京町屋が現在のカタチになるまで幾多の変遷を繰り返し、人々がそれを伝統として受け入れ、町屋として愛されたから京都の風情がかもし出されているのです。
今はまだ、コンクリートで京町屋のカタチだけを模倣した壁ですが、これがより洗練されて京都の心を投影する様な、新しい様式美を持つ壁が誕生する事を期待してなりません。