出口が見えない認知症のトンネル入った日
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2015年1月8日の話
今日の記事は長文になりますが、先日の「認知症の介護鬱は当事者には分からない」を読んで頂いた専門医の友人から下記のコメントを頂いたので紹介します。
コメントの中でご本人も仰っていますが、全ての認知症患者に適応するということではありませんが、希望の光になる気付きがあれば嬉しいです。
ここから
私自身は介護の経験がないので、偉そうなことはまったく言えないのですが、認知症患者を診ている医師として少し発言させてください。
介護する側としては、される側のことを親身に考えていろいろやってあげる、やってあげざるを得ないという状況が毎日続くわけで、心理的に本当に大変だと思います。
可能な限り、デイサービスやショートステイを利用して介護する側の肉体的心理的負担を軽減するとともに、「年老いた」「呆けた」「親を」「介護してあげる」のではなく、まだ正常だった頃の親子関係を演じるように、「子どもとして」「親であるあなたを頼りにしている」「子供である自分を」「親として心配してほしい」という心理的な接し方は、(いつもは無理でしょうが)時に必要なのではないかと考えます。
アルツハイマー型認知症であれば、レビー小体病や前頭側頭型認知症に比べれば、人格性格の変化は大きくないはずで、記憶障害、特に手順記憶の障害が中心のはずです。
すると20年前、30年前の認知症ではなかった時期の親子関係を「再現」しようと試みれば、「認知症になってしまった今」のお母様ではなく、何十年か前の正常だったお母様と小橋さんの関係が少しの時間でも築ける可能性があると思います。
そうすることで、お母様にも「患者」ではなく「母親」としての、子供を守ってあげなければ、という心理的な変化、それに伴う行動の変化が生じる可能性があると、自分が診ている患者さんと家族の関係を見て思います。
できないこと、忘れたことをを何度注意しても、何回言っても、認知症なのですからそれはほとんど意味がありません。
昔の、正常だった頃の話を、写真を見ながらするとか、何か昔の好きだった食べ物や趣味の話題をするとかで、「介護する側」に対する「介護される側」の見方、考え方が変われば、何か変わるかもしれません。
介護をするのは、本来家族の仕事ではなく、家族は一緒にいて寄り添う立場のはずなのです。介護事業も医療もその辺は遅れているというか、思ってもなかなかできない葛藤があります。
最初から焦らずに、ゆっくり試すように実践してみてください。たとえば、小橋さんが子供のころのお母様と一緒の写真などを見せて、「これどこで撮ったんだっけ?」など、答えられなくても、あまり興味を示さなくても、眺めるようだったらまず成功、ぐらいの気持ちでいいと思います。
それを少しずつ、回数や時間を増やしていくと、「今」=H27年ではなく、「今」=S40年代という風にお母様が、今を昔だと思うようになっても大丈夫です。本当の認知症の方なら、翌日には、またはその日のうちにそのことを忘れるか、わからなくなります。
ただ、その時間だけタイムマシーンのように時間を巻き戻し、その時の親子関係を演じて「介護してあげてる」感をなくす、できればお母様が「我が子を慈しみ育てている」気持ちを思い出させてあげることが変化のきっかけになるかもしれません。
これは、そういうことがあった、という患者さんとご家族の事例から言っているだけで、万人にうまくいくかどうかはわかりませんが、脳の働きとしては昔の記憶は保持されているはずなので何らかの良い反応が得られるのではないかと思います。
以上がコメントを頂いた全文です。もちろん、ご本人の許可を得た上で掲載させて頂きました。
ここから現在
このコメントを頂いてから、お袋と写真を見ながら昔話をしてみた。見せた写真の全てを思い出すわけではないが、確かに明確に覚えていることもある。しかも、私が忘れていることまで話すことができた。
病院で担当医に相談しても、ここまで親身に話してくれないのが現実です。この時に思いました。どんな専門書より、実際に認知症患者を診て、その家族とのやり取りの中で得た情報はココロに響きます。
あなたにも気付きがありますように
【小さな実践】
いくら良い情報も実践しなければ消滅するだけだ