その資格死んでませんか?
小学生の頃、教室に「努力」という額を掲げてあり、「努力すれば偉くなれる」とか「努力すればなりたい職業につける」などと、先生から耳にタコができるくらい聞かされてきました。
小学生の頃の私は「努力」は、一生懸命に勉強することだと思っていたので、努力も勉強も嫌いでした。「努力」=「勉強」と潜在意識に刷り込まれていたので、大人になっても努力することを避けていました。
それでも年齢を重ねてくると「努力」とは、先に何某かの見返りを求めていることだと理解できました。しかし、努力して達成する人もいれば、報われない人もいます。
努力しても報われなかった場合、努力に比例するようにその反動は大きく、怒り、絶望、悲しみ、恨みなど、ネガティブな感情が湧き出て立ち直れない人もいます。
ある学者が、ノーベル賞に何度もノミネートされるが受賞できない。その学者はモチベーションが下がって研究が嫌になるかというと、そうではありません。ノーベル賞を取るために努力しているわけではないからです。
学者にとっては、人類に貢献する研究している結果としてノーベル賞があるだけで、受賞して終わりじゃなく、おそらく命が続く限り発展的な研究を続けるでしょう。
私も持っているスキルや資格は、遊ぶのを我慢したり辛い思いをしながら努力していたわけじゃなくて、好きなことを学ぶのが楽しかったので、その結果がついてきたように思います。私は自分の身の丈を理解しているので、手が届かない努力はしません。
それより報われる努力をする方が現実的ですからね。
次回は正しい努力の見極め方をアップします
参考になれば幸いです。
下記に参考になる記事のリンクを貼っておきます。
◇「自己開示している時に自分の内面を知る気付きが起こる」
強み、才能、劣等感などを引き出すワーク
◇「制限しているものがあったら「lucky!」」
制限している中から閃きが湧き出る
【小さな実践】
報われない努力をするより、自分が持っている強みや才能を活かすような努力をする