ほどよい親子の距離感
「遠距離認知症介護者の日記」のテーマの記事は、お袋が認知症になった初期の頃を記録として残すためにアップしています。
ここから2014年5月11日の話
昼過ぎにお袋に電話をすると「おはよう♪」と言われたので慌てて「こんにちは」を引っ込めた。
実家に帰っている時、朝、二階から降りお袋の部屋にいくと、たいてい寝ぼけて「あんた、誰と二階に住んでいるん?」と聴いてくる。最近、気付いたことだが、お袋の中には、四人の登場人物がいる。
ひとりは現実の私
二人目は悪いことをする私
三人目は死んだ親父(良い方)
四人目は死んだ親父(悪い方)
親父が生きている時には、私と親父の関係性が悪かった。お袋の妄想の中では、二人はとても仲が良くていつも二人で行動しているらしい。この妄想がお袋の理想だったのかと思うと胸が傷む。
最近は、私を泥棒呼ばわりすることはなくなったが、もう一人の悪い私のことを、お袋はよく私に愚痴を言う。それに私も乗っかり、悪い私の悪口を言っていると訳が分からなくなる(笑)
どんな妄想も否定せず、一緒にお袋の妄想劇場の中に入って話していたら自然に信頼関係ができた。一緒になって演技をするのが心苦しかったが、お袋の笑顔を見ていると、これでいいかと思えてくる。
私がお袋に対して強烈なストレスを感じていた頃は、自分が経験した過去の習慣や常識の中でお袋の言動を観ていたことで、自分が正しくてお袋が間違っていることを前提に話しをするので話が噛みあうはずもない。
タレントの三宅裕司氏の奥様はかなり天然ぶりを発揮する人物と聴いている。普通なら大喧嘩になってもおかしくない夫婦だが、彼は奥様の天然ぶりをネタにしている。
ひとつ事象も少し視座を変えるだけでネガティブがポジティブなる良い例ではないだろうか。
ここから現在
あなたが脚本家だったとして、あなたのこれまでの体験の中で、とても辛いことや苦しいことを喜劇に変えることができますか? 私はお袋が認知症になったことで、とても長いトンネルに入って出口が見えない状態でした。
ところが、ある時期から「この出来事を喜劇として捉えよう」と考えました。私の中で一番、辛かったのがお袋の「妄想」だったので、お袋を妄想劇場の主人公にし、私は脇役を何役も演じました。
これがやってみると実に面白い(^o^)
参考になれば幸いです。
【小さな実践】
認知症の方を主役にした妄想劇場を作って楽しんでみる