認知症は生きた証を全てもっていく
先日、実家に帰って
片付けをしている時、
私が書いていた「介護日記」が
出てきました。
お袋が認知症になって、
あまり人に言えなかった
愚痴とも独り言とも
言えない内容のものでした。
読んでいると、
懐かしさと後悔が入り混じって
胸が熱くなりました。
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2014年10月9日
とうとうお袋に
怒りをぶつけてしまった。
理由は何でもないこと
普段、お袋が食べているものが
弁当やスーパーの惣菜が多いので
たまには手料理を食べてもらおうと
スーパーで買い物をし、
夕食の支度に取り掛かった。
ふと、お袋の部屋に行くと、
テーブルの上にお湯を入れた
カップヌードルが2つ置いてあった。
これから夕食を作ろうと
思っていた矢先のことだったので
ついお袋に怒りをぶつけてしまった。
怒っている私の前で
お袋は黙って俯いていた。
私は振り上げた拳の
落としどころを探しながら
お袋がどんどん小さく縮んで観えた。
たかがラーメンくらい
捨ててしまえば良いことなのに
認知症ということを忘れ、
只々、怒りを吐き出していた。
そんな自分が
情けなくて泣けてきた。
なんと小さい人間なんだろう・・・
お袋のカップヌードルを啜る音に
惨めさと自己嫌悪で
胸が詰まる思いがした。
翌日、お袋は
いつものようにデイに行ったが、
しばらくして電話があった。
いつもなら
楽しそうに過ごしているのに
元気がないので心配したのだろう。
お袋がデイで渡された集金袋を見て
「こんなにお金がかかるのなら
デイをやめようか」
と言っているらしい。
デイに行っていることが
私に負担を掛けていると
感じたのかもしれない。
デイから帰って
笑った私の顔を見ると、
すっかり元気になった。
お袋は、デイに行きはじめて
服装もヘアースタイルも
気にするようになった。
私と一緒に
洋服を選んでいる姿は女性そのもの
とても認知症とは思えない。
そんなお袋に元気な頃の
姿を観ていた。
今度帰った時には
おでんを作るからと私が言うと
「あんたが作るおでんは
美味しいからのぅ」
と嬉しそうに言った。
食べたこともないくせに
と思ったが、この言葉に救われた。
--------------ここまで--------------
お袋が特養に入ってからは、
一緒に食事をすることはありません。
今思えば、
あの頃のあの時間は、
私たち親子にとって
神様がくれたとても大切な時間。
親と子が逆転する
二度とない時間でした。
【小さな実践】
今、苦しい辛いと思っていることが
先で楽しかったと思えるようになる
理由を掘り下げて考えてみる