第3章を書き終えて
今回のテーマは「名前が思い出せない」と「無縁」
「無縁」のご遺骨の定義というのは本来血筋が絶えてしまったものであると思いますが、
最近の傾向を私的には「新無縁時代」としてとらえています。
それは血筋があるのに自ら「無縁」を選択するような選択肢がふえてきていることに起因します。
永代供養墓とは名ばかりで外から誰が入っているかわからない墓地や、お墓の形態が実に増えてきていること。
土地不足など様々な言い訳はあるかもしれませんが、名前を外にいる方にわからないものは例え日にちを決めて慰霊祭などをしていても、ここに眠っているよということを一般の参列者に知らせることができません。
ココにいるはずでは供養にならないのではないか?とそう思うのです。
お骨を入れる場所があればいい。
身内に迷惑をかけないなど様々な理由があるのは仕方がないとしても
御自身の名前が御参りに来られた方にわかるお墓に入って欲しいなとねがうばかりです。
名前の残らないお墓に入ることによって起こりうるむこうの世界を考えてみて書いてみました。
御遺骨側はあわよくばそれで良いかもしれませんが、残された側の気持ちも含め流行だけで選ぶのはどうかと思います。
多くの施設では合葬といって期限が来ると皆の骨とまじりあう状態になり取りだすことはかないません。
取り返しがつかないということです。しかも名前も残らない。
ひとつの判断基準にしていただければと思います。
弊社でも様々な納骨形態を薦めることは可能ですが、その部分はこだわっております。