十五夜
きょうは平成三十年六月十七日。父の日ですね。
旧暦では 皐月(さつき)四日。
七十二候では27候
「芒種 末候 梅子黄(うめのみきばむ)」の候になりました。
週初め、再び熊野巡りに行ってきました。
梅どころ和歌山県のスーパーや道の駅などでは、
入り口に大粒の梅の実が、大きな袋で売っていました。
自家製の梅干し・梅酒、作られていますか?
わたしはもっぱら、頂く・購入するばかりですが・・・
最近、梅干しと一緒に漬けらていた自家製の紅生姜が、
無性に食べたくなります。
今回の熊野は蛍狩りが一つの目的でした。
夕闇迫るころ、案内人の方と源流に向けて出発しました。
例年なら、源氏蛍が乱舞する時期。
今年は蛍の飛び始めが早く、見れるかどうかは、
行ってみないと分からないということでした。
目的地に着いて暗くなるのを待ち、
一番星が見えてから更に待つこと、暫し。
《ぽっ》と一匹目が飛んで、あとはちらほら舞ってくれました。
現地の人にとっては、飛んでいないのと同じ状況ということで
他の場所にも案内して下さいました。
通りがかった方などの情報によると、熊野の蛍は、
7年前の『紀伊半島大水害』で餌のカワニナが流され、
激減してしまったそうです。
そしてまた、昨年10月10日の水害で流されてしまったようで・・・
今年は、蛍がほとんど飛んでいないそうです。
前回の熊野巡りで、やっと災害の規模と理由を実感することができました。
今回は、自然災害のもたらす影響が人の暮らしだけでなく、
共に在る自然界へどのように影響しているのかも、知ることが出来たのでした。
蛍がいなくなるのは、農薬などの人為的なものだけではないのですね。
乱舞する源氏蛍を見せられなかったことを、
案内の方はとても申し訳なく思われたのですが
私たちは、20年ぶりに蛍の光を観られただけで充分でした。
そして見上げた夜空は、感動的な満天の星空でした。
台風一過の澄んだ空気と、新月直前の条件が重なり、
プラネタリウムで見るような星空が見られたのでした。
また、漆黒の闇を今まで本当には知らなかったのだ・・・
ということも解りました。
蛍を求めて一歩踏み出す道は、真っ暗。
月明りも、街灯もない夜の暗さを初めて体験しました。
馴染ない土地で、舗装された道でもあっても
先へはとても進めませんでした。
田舎育ちですが、夜に出歩くのは『火の用心』くらいで
それも、街灯や人の気配がありました。
昔の人たちは夜の世界の怖さを知っていたのです。
そして、日暮れた後の世界は魔物たちの世界として
棲み分けていたのでした。
煌々と人工の光で夜の世界を犯してしまった私たちは
それと同時に、見えない世界のことも
軽視するようになってしまったのかもしれません。
熊野にはまだ、
自然の姿に神を感じることのできた人たちの痕跡が
随所に残っていました。
「熊野巡り~引作の大楠~(2018-04-29 )」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/64127/
「熊野巡り~那智~(2018-05-02)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/64129/
「神さまに対する畏れ~ご神木、突然の立ち枯れ~(2012-12-19)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/33196/
「聞し召す(2017-02-05 )」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/60223/
「 「当たり前ではない」(2018-06-11)」
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/64377/
コラム一覧 :The Sence of Wonder
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コラム一覧 :HEAL THE WORLD
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コラム一覧 :大和魂
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/?jid=2607