あなたは、もうひとりのわたし
終戦から72年のきょう8月15日、日本武道館にて
天皇皇后両陛下ご臨席のもと
全国戦没者追悼式 が開かれました。
『戦没者の追悼』
と
『平和の祈念』
この式典は、追悼とともに平和を祈念されています。
平和への懸念が浮かぶ昨今
その意味はさらに深いものになっていると感じます。
終戦の頃、昭和天皇がお心を詠まれた和歌。
【昭和天皇御製】
身はいかに なるともいくさ とどめたり
ただたふれゆく 民をおもいて
戦中戦後を生き延び、その体験について
ずっとずっと口を閉ざされて来られた方々が
その体験を、今残さなければ永久に忘れ去られてしまうという
深い思いで語ってくださっています。
8月9日《長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典》において
田上富久長崎市長は『長崎平和宣言』のなかで
「『被爆者がいる時代』の終わりが近づいています。」
と述べられました。
それは、先の大戦を体験された方々がいる時代の終わりが
近づいていることでもあります。
「語るためには思い出さねばならない」
と述べられました。
そう・・・思い出すごと、語るごとにそのことは
更に心に体に、記憶されていくのです。
トラウマやPTSDという言葉がなかった時代の
話です。
それでも
「『人類の一員』として、わたしたちの未来を守るために
懸命に伝えようと決意しているからです。」
その宣言文を読まれている田上長崎市長の後ろに
とんぼが飛んでいるのが見えました。
とんぼには亡くなった方の魂が乗っていると
聞きます。
続いて『平和への誓い』をされたのは、
被爆者代表の深堀好敏さん(88歳)でした。
「その日は晴天でした。」と読まれる前に
一瞬、空を見られました。同じような晴天に
何を感じられたのでしょうか。
88歳は、母と同じ年齢です。
投下の時、16歳だったと読まれました。
母もその頃、女学校のあった神戸で学徒動員し
空襲の中を逃げ回ったのだと、話してくれたことがあります。
母が生き延びてくれたおかげで
私は、今ここに存在することが出来ています。
自分の命が脅かされることの脅威は
誰にとっても同じはずです。
そんな不安や恐れの気持ちが
友愛のこころに変わりますように。
世界の恒久平和は
ヒトという一種族の存続のみならず
この母なる地球、生きとし生けるもの全ての
命にかかわっているのです。
どうぞ明日の朝も、明後日の朝も ずっと
平和なこの世界に目覚めることが出来ますように。
参考)読売新聞 2017..8.10 / 2017.8.15
『祈り(2017-08-07)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/61963/