【マズローの欲求の階層説】
「間合いをとる」という言葉があるように
日本では、日々の生活の中で自然に「間」がとれていました。
関西では、日常にボケとツッコミの会話が成り立っていて
更に間の取り方が上手なのではないでしょうか。
この頃、自分も含めその「間」を待てなくなっているのかもしれません。
携帯電話は便利で、いつでもどこでも
電波と電池が揃えばすぐに必要なところに繋がっていけます。
解らないこともすぐに調べることが出来て、とても便利です。
用があれば、忘れないうちにすぐにメールや電話で連絡もとれます。
その便利さは、「間を置くこと」「待つこと」「先ず考える、思い出す」「覚える」
ということの機会を減らしました。
夜遅くなってしまったので、電話は明日に・・
と朝を迎えると、解決していることもありました。
個人に繋がる電話は、深夜でも遠慮なく子どもたちの間でやり取りされています。
頻繁なメールは、時間を分断し
返信が遅いことがイライラを呼ぶことにもなります。
ネット依存が言われるようになったのは、いつごろでしょうか?
残している資料が2004~5年位からあります。
その段階で1~2年前からと書いてあるので2002~3年頃でしょうか。
その頃はインターネットの問題で、ケータイ依存は『忍びよる』問題でした。
一息、ほっとつける「間」を持てると
こころに『遊び』の部分がもどってくるのでしょうか。
『あそび (2010-05-13)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/9482
『間合い(2010-06-25)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10401
『人を待つこと。人に合わすこと。(2010-07-28)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10771
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