わたしはここにいる。
20代の頃、よく一人旅をしていました。
一人なので、写真を撮ってもらうには誰かにお願いしなければなりません。
ところがお願するにも、山の中だったりで周りに誰もいない・・・という状況が増えたので
三脚を持っていくようになりました。
すると
旅行中、宿の方以外誰とも話さないということが起こるようになりました。
例え「写真を撮ってください」でも
人と話すきっかけになり、その場でいくらかの会話はあったのです。
便利だけれども、そのことで失うものがあるのですね。
そしてそれは、失ってから気付くのです。
そのようなものは結構あるのではないでしょうか?
たとえば八百屋で買い物するには、一声かけます。
スーパーやコンビニでは話さなくても買い物が出来ます。
固定電話に電話すると、話したい人に繋いでもらうための会話が必要です。
でも、携帯電話では直接話したい人に繋がるので
挨拶や、名乗ることすら不要だったりします。
メールはなおさらです。
【便利】と引き換えに
ちょっと人と話すというスキルが失われていくのですね。
でも・・・まだこれらは、どちらも手に入れチャンスはあります。
写真を撮るのに、お願いしてる人もまだ沢山いますし
八百屋も市場もまだあります。
家庭に固定電話もあって、携帯電話を持たない人もいます。
ちょっと一声でも、人と直接話すこと。
これは大切なことです。
『便利さの中で失うもの (2010-05-12 )』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/9447