坐骨を中心に寄せる感覚シミュレーション
感覚は育てるもの
「感覚」という目に見えないものは
「感じる」経験を繰り返していくことで育っていくものだと
私は思っている。
頭で考える人、文字や言葉だけで考える人には
最初のうちはとらえようの難しいことでもある。
例えば
「青い海」
と聞いて、どんなイメージを抱くだろうか?
カラーサンプルのブルーだけをイメージする人は少ないと思う。
海に行った経験、海に行ったことはなくてもテレビなどで見て
知っている海のことを思い浮かべることができるだろうと思う。
地平線の先に見える太陽、潮のさざめき、潮の匂い、
寄せては返す波のうねり
足を浸した時の冷たさ、
波を被って逃げる子供たちの笑い声や笑顔
溺れて飲んだ水のしょっぱさ
踏んで熱い砂のこと
波間に飛ぶかもめの白さ
海の中で泳ぐ魚の群れ・・
ぽっかり浮かぶ雲を見て想像する楽しさ・・
知っている、経験していることには、ざっとこれだけのイメージが湧く。
五感で感じる、
或いは第六感も研ぎ澄まされて感じることができる。
でも体のことも同じ。
文字や文章では充分でなく、動画であっても
ほんの一部を伝えているに過ぎない。
その少ない情報をそのまま
「脚は90度ですよね」
「中心に寄せるんですよね」
と言っても、どこをどう通って感じてそうなるのかは
表現した言葉通りではない。
頭で考えてしまうと本当にわからなくなる。
だから頭で考えそうな、想像しにくい難しい言葉を使わない。
素敵なものを見て感動した時には
何が何だかわからないけれども胸が熱くなったり
涙が出たりする。
それは視覚、聴覚、臭覚、触覚、味覚に想像力も添えて
体や体を包む周りの空気まで含めて感じた感覚。
体の中のことーインナー感覚も
最初はわからなくて当たり前。
でも繰り返してみる。
すぐにはわからないこともある。
でも気づいたらわからなかったことが不思議になるほど
当たり前に感じている。
それが感覚が育つということ。
感覚は受容器。
一旦感じた感覚がなくなる時だってある。
それも経験。
また探す、覚える、磨く、高める、養う。
感覚を育てるとは、自分も知らないうちに
経験の中で身に着く。
「考える」から「感じる」へ。