HbA1c(ヘモグロビンエーワンシー)と血糖値との関係
~はじめに~
前回のコラム『 「糖尿病」という疾患名が意味すること 』において、糖尿病の病名の由来についてお話しました。『糖尿病』という疾患名は、外国で使用されていた『 Diabetes Mellitus(ディアベテス メリトス) 』の日本語訳として1907年に統一されたものです。
多尿であることから由来するDiabetes(ディアベテス)と、「蜜のように甘い」を意味するMellitus(メリトス)をくっつけた名前です。
これらは、著明な高血糖状態の症状である尿糖を伴う多尿を意味しているのみで、疾患の本質を示していません。糖尿病の疾患の本質は、インスリンというホルモンの分泌低下です。
糖尿病≠生活習慣の乱れ、であることは、以前にお話しさせていただきました。
2型糖尿病≠生活習慣の乱れ
そこで、今回はインスリンの歴史を振り返ってみたいと思います。
~尿糖の意味~
糖尿病患者さんの血液中の糖濃度が高いことや、尿に糖分がでていることが明らかになったのは、19世紀になってからです。19世紀後半には、高血糖の結果、尿糖が排泄されることが明らかになっています。今では、血糖値が約170 mg/dlを超えると、尿糖が出てくることがわかっています。つまり、尿糖があることは、血糖値が170 mg/dlを超えているかもしれないことを示しているだけで、尿糖=糖尿病、ではありません。特に最近では、尿糖を強制的に増やす働きのある薬が登場しています。これらの薬は、糖尿病の治療薬としてのみならず、心不全や腎不全の薬としても注目されており、尿糖があることが体にとって有害ではないことを明確に示してくれています。
~インスリンの発見~
1889年にメーリングさんとミンコフスキーさんが、犬の膵臓を摘出すると糖尿病を発症することを発見しました。彼らは、膵臓を皮下に移植すると、糖尿病が改善することも明らかにし、膵臓には糖尿病の原因となる内分泌物質が存在すると発表しました。
その膵臓に存在する内分泌物質を初めて抽出することに成功したのは、1921年です。
当時、膵臓にある内分泌物質(ホルモン)の正体を明らかにしようとしていた研究者は複数名いました。カナダの外科医であるバンティングさんもその1人でした。
バンティングさんは、トロントの大学のマクラウド教授に研究の相談をします。当初は、軽くあしらわれたようですが、3回目の交渉でようやく許可してもらったようです。教授の夏季休暇中の8週間だけ、研究室を借りることが出来るという条件で、当時はまだ大学院生だったベストさんを助手として紹介してくれました。つまり、教授はバンティングさんをほとんど信用していなかったようです。実験は8週間では成功しませんでしたが、バンティングさんとベストさんは、粘り強く実験を重ねて、膵臓からホルモンの抽出に成功します。
膵臓抽出物を糖尿病の犬に投与すると、血糖値が下がることを確認しました。そして、この抽出物は、アイレチン( のちのインスリン)と名付けられました。まさにこれが「トロントの奇跡」と呼ばれるインスリンの発見です。
~ノーベル賞受賞~
発見者は、バンティングさんとベストさんですが、マクラウド教授は、研究が自分の指揮下で実施されたことを主張し、インスリンに関する論文発表や講演活動を行いました。
その結果、バンティングさんとマクラウド教授の二人が、インスリンの発見でノーベル医学生理学賞を受賞しました。バンティングさんは、苦楽をともにしたベストさんではなく、しぶしぶ研究室を貸してくれたマクラウド教授が、インスリン発見者として、ノーベル賞を受賞することに、激しく反発したそうです。自身の賞金の半分をベストさんに与えることで、真の共同研究者がベストさんであることを示したそうです。
また、バンティングさんとベストさんは、インスリンに関する権利を1ドルで、トロント大学に譲っています。このことで、インスリンは1921年の発見の翌年には、製品化されて、多くの糖尿病の方の命を救っていくことになります。
~さいごに~
バンティングさんの偉業を称えて、バンティングさんの誕生日である11月14日は、「世界糖尿病デー」として、国際連合に公式に認定されています。1921年に発見されたインスリンは、今から100年前の1922年に製品化されました。つまり、インスリンが製品化されて、今年で100周年になります。
糖尿病は、このインスリンの発見により、病態解明が劇的に進んでいきます。現在も日進月歩で病態解明が進み、新しい治療薬が登場してきています。このお話はまたの機会に。