【カスハラ対策】従業員個人から告訴された|事業者との交渉とは別に進む手続

若井亮

若井亮

テーマ:不当要求

 

この記事は2026年9月時点の法令に基づいています。カスタマーハラスメントに関する事業主の措置義務は、改正労働施策総合推進法により2026年10月1日から施行され、指針(令和8年厚生労働省告示第51号)が同日から適用されます。


店で強い口調のやり取りになり、その後、店の窓口とは謝罪や支払いの話がまとまりかけていた。ところが、その場で対応した従業員が個人として告訴した、あるいは警察から連絡が来た。こうしたご相談をいただくことがあります。「店とは話がついたはずなのに」という戸惑いから始まることが少なくありません。

 店との話し合いと、従業員個人の告訴は、当事者も、もとになる権利も、進む手続も別のものです。店との間で謝罪や支払いを済ませていても、それだけで従業員本人の告訴が終わるとは限りません。

 この記事では、二つが別々に進む仕組み、店に頼めることと頼みにくいこと、従業員本人との話し合いをどう組み立てるかを整理します。どの言動がどの罪にあたるかという線引きについては、【カスハラ対策】カスハラが刑事事件になる線|義務化で通報が増える構造で扱っています。

一つの出来事に、被害者が二人いることがある

 告訴ができるのは、犯罪により害を被った人です(刑事訴訟法230条)。店の中で起きた出来事でも、守られている利益が店の業務なのか、従業員個人の身体や名誉なのかによって、被害者として扱われる人が変わります。

問題になりやすい罪被害者として扱われることが多い人告訴がない場合
暴行・傷害手を出された従業員捜査や起訴は妨げられない
脅迫・強要害を告げられた、または行為を強いられた従業員捜査や起訴は妨げられない
侮辱・名誉毀損名指しされた従業員起訴できない(親告罪)
威力業務妨害・不退去店(業務を営む者・施設の管理者)捜査や起訴は妨げられない


 店の窓口がこれまで話し合ってきたのは、多くの場合、店自身の被害と、今後の来店や取引の扱いです。従業員個人の被害は、店の中で起きたことであっても従業員本人に帰属するもので、店が代わりに処理できる範囲には限りがあります。

店との合意が、従業員本人の告訴まで終わらせない理由


合意の効力が及ぶのは、合意した人どうし

 店との示談は、法律上は和解の契約です(民法695条)。「今後互いに請求しない」という清算の約束も、原則として契約を結んだ当事者の間で働きます。会社と相手方との和解の清算条項が、会社の役員や従業員個人との関係にまでは及ばないとされた裁判例もあります。従業員が合意書の当事者になっていなければ、従業員本人の権利はその合意の外に残ると考えておく必要があります。

店が従業員に代わって告訴を取り消すことはできない

 告訴の取消しは、告訴をした人が行うものです。代理人によることもできますが(刑事訴訟法240条)、雇い主であるというだけで店が代理人になるわけではありません。店との合意書に「従業員の告訴も取り下げる」と書かれていても、従業員本人の意思に基づく手続がとられない限り、捜査機関に届く取消しにはなりません。

店に支払ったお金は、誰の損害に向けたものか

 店への支払いに従業員の治療費や慰謝料を含める趣旨があり、実際に従業員に渡っているのであれば、その点は後の話し合いで考慮される余地があります。反対に、店の損害だけを対象にしていたのであれば、従業員個人との関係は別に残ります。合意書に書かれた名目と、誰の損害に向けた支払いかを確かめておくことが出発点になります。

親告罪かどうかで、告訴の重みが変わる

 侮辱罪と名誉毀損罪は、告訴がなければ起訴できない罪です(刑法232条1項)。告訴は犯人を知った日から6か月以内にする必要があり(刑事訴訟法235条)、起訴されるまでは取り消すことができ、取り消した人は同じ事件で改めて告訴することはできません(同法237条1項・2項)。これらの罪については、従業員本人が告訴を維持するかどうかが、起訴の可否をそのまま左右します

 一方、暴行・傷害・脅迫・強要は、告訴がなくても起訴できる罪です。これらの罪の告訴は、処罰を求める意思を示し、捜査のきっかけになるものであって、取り消されたからといって起訴されないと決まるわけではありません。ただ、検察官は犯罪の軽重や情状、犯罪後の情況なども踏まえて起訴するかどうかを判断するとされており(同法248条)、被害者との示談や被害者の意向はその判断材料の一つになります。

 一つの出来事の中に、両方が含まれることもあります。ほかの客の前で罵った部分と、手で押した部分とでは扱いが異なるため、分けて考えることが大切です。

告訴されたと知ったとき、最初に確かめること

 情報の出どころと、手続がどこまで進んでいるかによって、次にとる対応は変わります。まず次の点を整理してみてください。

  1. 誰から聞いた話か(店、警察、従業員本人、共通の知人など)。
  2. 「告訴する」と言われた段階か、警察から連絡や呼出しが来ている段階か。
  3. 告訴なのか、被害届なのか。
  4. 問題とされているのは、どの日の、どの言動か。
  5. 店との間で合意した内容(書面の有無、合意の当事者、支払いの名目)。
  6. 手元に残っている記録(レシート、やり取りの履歴、当日のメモ)。


 告訴と被害届では、取消しの扱いが異なります。告訴には取消しの規定がありますが、被害届には取下げを定めた規定が置かれていません。また、告訴を受けた警察は、書類と証拠物を速やかに検察官に送付する仕組みになっています(刑事訴訟法242条)。告訴が受理されていれば、最終的には検察官が処分を判断する段階まで進むのが通常です。警察から呼出しを受けたときの注意点は、冒頭で紹介した記事で整理しています。

店に頼めること、頼みにくいこと

 店に頼めるのは、店自身の被害についての話し合いと、従業員が話し合いに応じる意向があるかどうかを尋ねてもらうことまでです。尋ねてもらえたとしても、応じるかどうかは従業員本人が決めることです。

 反対に、従業員の連絡先や住所を教えてもらうこと、店から従業員に告訴を取り消すよう働きかけてもらうことは、頼んでも応じてもらえないことが多いと考えておいたほうがよいでしょう。

2026年10月からの措置義務と店の立場

 2026年10月1日からは、事業主はカスタマーハラスメントを防止するための措置を講じなければならないとされます。指針は、被害を受けた従業員への配慮として、行為者に対応する担当者の変更や、被害者と行為者を引き離すための配置転換などを挙げ、あわせて、暴行・傷害・脅迫などの犯罪に該当し得る言動については警察への通報や弁護士への相談も考えられるとしています。相談した従業員のプライバシーを守る措置も求められています。

 こうした立場からすると、店が「従業員個人の件には関与できない」と答えるのは自然な対応です。店に働きかけを重ねることは、それ自体が新たな要求と受け止められるおそれがあります。

従業員本人に直接連絡しないほうがよい理由

 謝りたい、事情を説明したいという気持ちから、従業員に直接連絡を取りたくなることがあります。しかし、捜査を受けている側が被害者に接触すると、証拠に働きかけようとする動きと受け取られ、身柄の拘束を判断する際の事情として扱われるおそれがあります。

 刑法105条の2は、自分の刑事事件の捜査や裁判に必要な知識を持つと認められる人に対し、正当な理由なく面会を強く求めたり、言葉や態度で迫ったりする行為を処罰の対象にしています。被害者もこの対象に含まれます。謝罪のつもりであっても、受け取る側がどう感じるかで評価が分かれる場面です。控えたい行動を挙げます。

  • 店に出向いて従業員を呼び出すこと。
  • 店の周辺で退勤時間に待つこと。
  • SNSや口コミサイトで従業員に触れること。
  • 共通の知人を通じて取消しを頼むこと。
  • 「店とは話がついた」と伝えて取消しを迫ること。


従業員個人との話し合いを組み立てる


連絡は弁護士を通じるのが一般的

 従業員の連絡先が分からない場合、弁護士から警察や検察官に、弁護士に限って連絡先を伝えてよいか被害者の意向を確認してもらう、という流れがとられることがあります。従業員の側に弁護士がついていれば、その弁護士が窓口になります。店の顧問弁護士が従業員の代理人を兼ねるとは限らないため、誰が窓口なのかを最初に確かめることが必要です。

三者で一つの合意にするという選択肢

 店との合意がまだ成立していないのであれば、店・従業員・自分の三者で一つの合意書にまとめる方法があります。清算の範囲が三者に及ぶため、後から別々の請求が出てくる余地を小さくできます。店との合意がすでに成立している場合は、従業員と別の合意を作り、店への支払いとの関係を書面で整理しておくことになります。合意書に盛り込む項目については、被害届を出された|示談で何を取り決めるのかもご覧ください。

 もっとも、従業員が話し合いに応じないこともあり、その場合は本人の意向を尊重することになります。示談が成立しないまま処分の時期を迎えることもありますが、弁護士を通じて申入れをした経過は、記録として残しておく意味があります。

従業員個人から民事の請求が届くこともある

 従業員は、治療費や慰謝料などの損害賠償を、店とは別に自ら請求できる立場にあります。東京都の「TOKYOノーカスハラ支援ナビ」では、取引先の担当者から暴行や脅迫を受けた従業員2名が、担当者個人と、その使用者である病院に損害賠償を求めた事案が紹介されています(長野地裁飯田支部令和4年8月30日判決)。裁判所は双方の責任を認めて慰謝料の支払いを命じ、担当者については別に刑事の有罪判決が確定していました。従業員個人の立場で、刑事と民事がそれぞれ進んだ例といえます。

よくあるご質問


苦情の中身は正当だったのに、告訴されたことに納得がいきません

 犯罪として検討されるときに問われるのは、主に求めた内容ではなく、その手段です。義務の履行を求める場合でも、手段として用いた脅迫が社会通念上受忍すべき限度を超えれば強要罪が成立し得るとした最高裁の判断もあります(令和5年9月11日判決)。罪名ごとの違いは恐喝・強要・脅迫はどう違うのか|言い方で罪名が変わるで整理しています。

告訴が取り消されれば、処分を受けずに済みますか

 侮辱や名誉毀損のような親告罪であれば、起訴される前に告訴が取り消されると起訴はできなくなります。暴行や脅迫などの親告罪でない罪では、取消しは被害者の意向を示す事情として考慮されますが、それだけで処分が決まるわけではありません。

店から出入り禁止を告げられました。告訴と関係がありますか

 出入り禁止は店と客との関係の問題で、告訴は刑事の手続です。どちらかの結論がもう一方を自動的に決めるわけではありません。ただ、出入り禁止を告げられた後に来店すると、それ自体が別の問題として扱われるおそれがあります。

まとめ


  1. 一つの出来事でも、店と従業員個人のそれぞれが被害者になることがあります。
  2. 店との合意の効力は原則として合意した当事者の間にとどまり、店が従業員に代わって告訴を取り消すことはできません。
  3. 侮辱・名誉毀損は告訴がなければ起訴できず、暴行・脅迫などは告訴が取り消されても起訴の可能性が残ります。
  4. 店に頼めるのは店自身の話し合いと従業員の意向の確認までで、連絡先の開示や取消しの働きかけは期待しにくい部分です。
  5. 従業員本人への直接の連絡は控え、話し合いは弁護士を通じて組み立てるのが一般的です。
  6. 従業員個人からの民事の請求は、刑事の手続とは別に届くことがあります。


 店との話し合いが一段落したところで従業員個人の告訴を知ると、終わったはずのことが振り出しに戻ったように感じられるかもしれません。ただ、二つの手続を切り分けて、それぞれの相手と段階を確かめれば、次に何をすればよいかは見えてきます。店との合意書や当日のやり取りの記録は、どちらの手続でも手がかりになりますので、手元に残しておいてください。

同じような状況でも、経緯や残っている記録によって取れる手段は変わります。どこから手をつければよいか判断がつかない段階でも、事実を整理するところからご一緒できます。
当事務所では、電話・メール・LINEのうちご希望の方法でご相談をお受けしています。ご都合のよい手段をお選びください。
早い段階でご相談いただくほど、選べる手立ては多く残ります。迷っている段階でも、まずはお気軽にお声がけください。

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若井亮
専門家

若井亮(弁護士)

弁護士法人若井綜合法律事務所

風俗トラブルや男女トラブル、それに伴う刑事事件まで一貫して対応。累計相談件数は男女トラブル約23,000件、風俗トラブル約8,000件。全国からの相談を24時間受け付け、迅速な対応を心がけています。

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