上町断層帯の危険な兆候
地震被害は地盤の強弱で大きな差が出る
大地震では、同じ建物の造り方をしているのに、被害に差が出ます。
阪神大震災の時に斜面地に同じ間取りの建売住宅が二戸並んで建っていましたが、一方は倒壊して一方は無傷と云う現場に遭遇しました。違いは一つ、倒壊した建物は盛り土の上に建ち、無傷な建物は切り土の上に建っていました。それだけの差です。
盛り土が崩れた訳ではありません。擁壁が崩れたり、移動したりした形跡はありませんでした。切り土と盛り土では、地震で揺れている時間が違ったのです。バケツの中に水を入れてバケツを叩いてみると波紋が起こります。水であれば波紋は中々消えません。バケツの中に砂を入れて叩くと叩いた瞬間は、砂も動きますが揺れが続くことはありません。地震では水と砂の関係が、軟弱地盤と締まった地盤の関係に置き換わるのです。
軟弱地盤は長く揺れる
これは斜面地だけに留まりません。平野部でも軟弱地盤の上は揺れが長く続きます。大阪平野は淀川と大和川のデルタです。上流から流れ込んだ土砂が堆積して出来た平野です。地盤が固い場所は稀です。大阪の地名に桜島・四貫島・島屋・御幣島と島の地名が多い事も昔は地盤の悪い場所だった事を物語っています。大阪でやや地盤の良いのは上町台地周辺だけです。上町台地から東側も海から遠いにも関わらず、地盤が良くありません。縄文時代には河内潟(河内湖)と云って海水と淡水が混ざり合った汽水域の入り江を形成していました。鴻池新田の地名もある様に随分時代を下らないと誰も手をつけなかった湿地帯が広がっていたと想像できます。
大和川も、当時は現在の位置に流れていたのではなく。柏原辺りから生駒山の麓を北上して寝屋川につながっていました。今の長瀬川の川筋がほぼ昔の大和川に相当すると言われています。また、東大阪市に川中と云う南北に細長い地名が残っていますが、これも大和川の名残と言われています。
古い川の名残は水が流れていないのは表面だけで、今でも尚地下には水道(みずみち)が走っていると考えられます。
画像は大坂平野ですが、色が赤い程軟弱地盤を示しています。
大阪平野を見渡して、地震に対して安全な土地は見当たりません。地盤が固いとされる上町台地さえも、何故台地になったかを考えますと、危険さが判ります。
上町台地は東西から地面が押され亀裂が走って盛り上がった場所が上町台地だからです。つまり上町台地には上町断層が走っていて、直下型地震の震源地となる可能性があるのです。矢印で示しているのが上町断層です。
上町断層以外にも大阪平野には生駒断層が走っています。生駒断層が動く可能性はそれほど高くありませんが油断は出来ません。
上町断層も生駒断層も東斜面は緩く西斜面は急になっています。つまり断層を境に東側が西側に乗り上げたカタチになっています。断層が出来る程の力が加わるのですから、もしかすると上町断層と生駒断層は連動するかも知れません。
東日本大震災では、内陸部分でも随分液状化現象が問題となりました。大阪で地震が発生しても内陸に渡り液状化現象が見られると思います。
東南海・南海地震は何時発生しても不思議ではない時期に入っています。くれぐれも備えだけはしておいて下さい。
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