人それぞれの墓じまい
先日の文春の記事である
ビル型納骨堂の有限の部分を取り上げている
これはいま改めてではなく
最初から建物と管理の限界はわかっていてやっていることだ
だまされたと感じる人はあまりいないような気がする。
間違いなくビル型は限界がある
なのに利用者は何を求めたのだろうか
それは便利さ
便利さを選んだことで、Xデーはあるだろうと理解している人も多い
なぜそれでも選ぶのか
今生きている自分がいる間、存続していればいい
だって今便利だし。
お墓は繋がりの象徴のように思っているけど、ちょっと違うのかもしれない
今、向き合うためにあればいいと思っているようだが
次の世代の今を見てはいない。
選んだ人から帰ってくる言葉に「これなくなる時自分は生きてないだろうからどうでもいい」というのがある
まさに子の代まではいいが孫の代は関係ないと言っているようなものだ。
廃墟になるのはしょうがない
ただどうやって壊していくのか
どうなんだろう?
一つの建物に相当数の遺骨が集まっているのだから