画期的というか、いまどきの納骨
今日は母の命日です。
5年がたちました。
さてタイトルにも心のざわめきとは。
母は脳幹に近い部分の血管内の手術を受け、成功、そしてリハビリの申込みをしようというところまで来て結果的には血管が破れ意識不明となりました。
意識があった最後の1日はお見舞いで病院までは行っていたのですが子供たちが車で寝ていたため、嫁がしばらく顔を合わせていなかったので嫁を優先しあいにいかせました。
とても元気でにこにこしていたよという言葉を聞き安心して、自分は顔を見せずに帰路につきました。
途中夕食をとり、更に家に向かう高速の途中、父から心停止したという電話。
とにかく戻れれば戻れと
子どもたちと嫁を一度家におろし、妹を途中ひろい病院まですぐに戻りましたがそこからは機具に生かされている状態でした。
その後10日間反応することもなく、少しづつ弱り母は亡くなりました。
父も10日間ほとんど病院で過ごしやつれはてていました。
まさに生きて帰る明るい兆しからどん底に。
そのころはエンディングノートなんて話もなかったし、ましてや生きて帰ることを前提に手術を受ける覚悟をした母だったので何も伝えず、そのあとも皆があたふたしたのを思いだします。
手術後ほとんどまだ声にならない声で会話したのが最期でした。
意識を失う日、家族のほとんどが顔を合わせた中で自分がいかなかったことはいつまでも悔やまれてなりませんでした。
たぶんまだどこかで引きずっていると思います。
家族を亡くされた方と向き合う中で、人それぞれにいろんなことが起こっています。
お墓を作ることで気持ちに区切りが少しつく方もいます。
自分のこの体験を胸にまた日々仕事をしていきたいなと感じています。