便利さのなかで失うもの 2
たまに、聖書のお話を聞く機会があります。
クリスチャンではありませんが、物事の根底にあるものは同じでないかと
個人的に思っています。
皆、それぞれに自分の入り易い扉を見つけ
そこからその場所へと近づいていくのだと思っています。
グリーフケアにおいては【全人的な痛み】に対してのケアが必要と紹介いたしました。
それは、「身体的な痛み」「精神的な痛み」「社会的な痛み」「霊的な(魂の)痛み」です。
その、「霊的な(魂の)痛み」に対応するものが
こころの拠り所となるもの、宗教的なものもそこに含まれるのだと思います。
神学的知識を習得された方は、
同時に人権・生命倫理・スピリチュアル・ケアについて学ばれています。
『牧会カウンセリング』という特有のものもあります。
さて、今回聞いた話の中に
「人の目の中にある『おが屑』は見えるのに
なぜ、自分の目の中にある『丸太』に気付かないのか」とありました。
(『豚に真珠』のもとになったところも、同じ一節でした。
これが、聖書から来ているのも初めて知りました)
このような短い一節の中に、こんなに意味が込められるのかと
感嘆すると同時に、自分の目の中の丸太について考える機会になりました。
日々の生活の中の視点だけでなく
たまには、違う視点で物事を見ることの必要を感じました。
【枠組みを変えてみる(リフレーミング)】
これも新しい技法の一つです。
『グリーフケア(grief care)2(2011-04-03)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/18583
『捉え方を変えてみる(2010-06-20)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10574
『欠点を長所に。(2010-06-21)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10596
『もし、眠っている間に奇跡がおこったら・・・?(2011-06-24)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/20802
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