書くことと 話すこと 【ジョハリの窓】
以前に『ハリネズミ理論〈ヤマアラシのジレンマ?〉』を紹介したのですが
人と人の関係について、改めて難しいとおもうことが続きます。
お互いに寄り添いたい気持ちがあっても、どうも上手くかみ合わない時があります。
改めて、「ヤマアラシのジレンマ」を見なおすと
『二匹のヤマアラシは近づきたい、
でもお互いにトゲがあって、近づき過ぎるとそのトゲが刺さって痛い。
近づき過ぎて傷付けず、でも淋しくない距離を探っていく・・。』
まだ手探り状態の時は、お互いに遠慮もあって
自己開示が少ないので、自ずと我も押さえられます。
それが、関係が進むにつれ自分自身を表現できるようになってくると
理解されたい、してほしいと近づきます。
ところが、近づくとトゲが刺さって痛い。
この時、痛くて直ぐに引いていって
それ以上踏み込んだ関係にならない、あるいは離れて行く場合と
刺さって、傷ついても傷ついても行きつ戻りつしながら、
コミュニケーションを重ね、寄り添おうと試みる場合があるようです。
ところで、このトゲは何なのだろうと考えました。
一つは、「価値観」なのかと思います。(各々の持つフィルターともいえます)
そのため、似た価値観を持ち合せた場合
トゲがうまく交互にすり抜け、意識することもなく近づいて行けます。
逆にかけ離れた価値観を持っていた場合、少し近づいただけでも刺さって痛い。
この時、その価値観を擦り合わせ近づく努力をしようと試みるか
離れて行くのかは、その時のお互いの気持ちのありようによるのでしょう。
また、一つは自己防衛意識ともいうものでしょうか。
体に不釣り合いな長い鋭いトゲを持つ場合
逆にあまりトゲの無い場合もあるようにおもいます。
何かの経験から、近づかれて傷つけられないように
長いトゲを持って自分を護っています。
ところが、自分が近づきたいと思ったときにもそのトゲが相手を傷つけます。
近づきたいと、近づくほど深く刺さっていきます。
その時、そのことを理解して傷つきながらでも側にいてくれるか
耐えれれなくなって去っていくかに分かれるのでしょう。
上手くいけば、そのトゲが適切な長さになるかもしれません。
しかし、逆に更に長いトゲになることもあるでしょう。
また、トゲの短い場合は、自己肯定感の低さがあるのかもしれません。
自分に自信が無いので、必要なトゲも持てず
通常の距離でも、相手のトゲが刺さります。
今まで生きてきた中で、培われた「価値観」は
その人の「生きざま」でもありますので
そのことについて、容易に何かを言うことは出来ませんが
あまりに身の丈に合わないトゲを持ち合せていることに気づき
そのことが、今の生活に支障を及ぼしているのであれば
自分を振り返る時期に来ているかもしれません。
『ハリネズミ理論〈ヤマアラシのジレンマ?〉(2010-12-28)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/16041
『価値観(2011-05-13)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/19701
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