わたしはここにいる。
考えても考えても良い考えが浮かばす、煮詰まってしまうことがありませんか?
アルキメデスが、アルキメデスの原理のヒントををおふろの中で発見したことは有名ですが
益川敏英博士が『CP対称性の破れ』を説明するためには
〝クオークが六種類あれば・・・”と思いつかれたのもおふろでした。
京都の『哲学の道』。
哲学者の西田幾多郎が思策に耽りながら歩いたという逸話から名前が付けられた小路です。
若い頃に歩きましたが、何も感じることなく通り過ぎました。
初めて行くころでは、その情報の取り込みのために
頭の中はフル回転していて、思策に耽る余裕はありません。
歩き慣れた道を散歩することに意味があるのですね。
おふろにしても、慣れた道の散歩にしてもそのこと自体は
からだが覚えていて意識することなくできます。
そのように動くことには頭を使わないで良いので、ふとした刺激が
ひらめきをもたらしてくれるのですね。
おふろで肩の力をぬく
散歩で気分転換する。
ひらめきはそんな日常の中にあるのですね。
『配慮(2010-06-14)』
http://mbp-japan.com/hyogo/yu-cocoro/column/10295