喪失と悲しみの心理 2
井戸端会議とはうまくいったものだなぁ・・と思いますが
最近は、セッティングしないとこの会議もなかなか成り立たないこともあったりしますね。
以前の暮らしの中には、知らず知らずのうちに
生きていく中で必要なものが組み込まれていたように思いますが
人とのかかわりが減り、みんなが忙しくなっていく中で
伝わらなくなったものがたくさんあるのでしょうね。
さて、井戸端会議。
これ自体が、苦痛になる方もいらっしゃるので
そうなると、ストレス解消にはなりませんが
ストレス解消に、そのこころの中にたまったことを出してあげるというのはとても大切なことです。
まだ種のうちに、こまめに外に出していく。
わざわざ、訪ねていって言うほどでない愚痴を洗濯ついでに出して
汚れと一緒に流す・・・なんてよく出来ていました。
こころの中にまかれた小さなストレスの種は
何度も、何度も思い返したりしていくことが栄養になり
どんどん大きく育っていきます。
そして大きく育ったストレスは
外へ、怒りとして爆発したり
内に向かえば、自分自身のこころやからだを冒します。
それがどちらに向かうかは、その人が陰陽どちらのタイプかによって異なります。
厄介なのは、こころにポトンと落ちた種は
自然には消えて無くなってくれないということです。
だから、愚痴で済むうちに
日々こまめに出してあげることがとても大切です。
それには、井戸端会議が最適なのですが
今なら何にあたるのでしょう?
会議までしなくても、話せる相手を持っていることは必要ですね。
井戸端会議には
ストレス解消だけではなく、人と繋がっているという
社会的欲求を満たしてくれる部分もあるのです。
ドアをパタンと閉めて、鍵をかけてしまうと
外とのつながりがなくなる・・・というのは諸刃の剣ですね。