自分ができる段階での『最大』を通ること
伝えること、受け取ることが合致するタイミング
昨日、一昨日と東京でプチWSをさせて頂いて
多くの皆さんにおいでいただいたが
今日は、ご自身の求めたことを
驚くほど素直に受け取って下さった例を
書いてみようと思う。
(東京WSでの、その他の様子はまた改めて書きます)
今回、初めて来られた方。
普段はヨガやテニスはされているが
腕を上げることが辛く、腕を上げると息苦しい。
来られるまでのやり取りで
なぜそうなるかのイメージはつかめていたので
楽になってはもらえるだろうと思っていたが
嬉しい想定外につながった。
肩が詰まり、胸に力が入って辛そうなのを
肩甲骨を回し下げて楽に寝る
をやってもらって、ご自身でこの晩から
楽に寝られるように覚えて頂いた。
肩が詰まらず、楽に無理なく動かすのに必要な位置感覚や
最小限の操作での腕の使い方。
最初に来られた時には息苦しく痛い使い方が
楽に動かせるようになられた。
ここから、先日公開している辛い時、小さく使って脇、肩甲骨、背骨によく効くストレッチ
脚を上げるところまでするつもりはなかったが
余りに楽そうにきれいになられたので
少し展開してみたら、とてもきれいで本当に無理がない状態になった。
ここまでは私の想定内。
そして・・
他に長いこと、開脚前屈を練習されているものの
痛くて全く前に行かないと言う方がおられたので
私がしてみて、脚を開くのではなく、
あくまで体幹を考えて推進力を使うことを説明したら
開脚から開脚前屈まで、いとも楽そうにできてしまった。
この時、最後の脚を回すのがどうしたらいいのかわからないです~と
言われたので、最後に少し誘導しただけ。
ご本人は開脚前屈はされたことがなく
これが初めてだと言う。
「先生のされることをそのまましたら、できそうな気がして」
とおっしゃっていたが、
来られた時にはなかった位置感覚が出来て
体幹のベクトルが使えて、推進力で開脚前屈が
見事に出来ている。
この方がそういうことを考えてではなく、感じてされている。
頭であれこれ考えるのでなく
何の迷いもなく
見て聞いて感じての
感覚でとらえることが、スコンと体につながったのだろう。
できる、できないは
こちらの伝えたいことが受け取れる状態が
合致したタイミングもある。
考えて考え抜いてやってみたから、必ずできると言う訳でもなく
考えて考え抜いて、受け取る時には
流れの通廊がさーっと通る場合もあるし
少ししか通らない時もある。
あまり考えていなくても、体と心がキャッチするときもある。
この方は初めてお会いしたので
普段がどのように取り組まれる方かはわからないが
辛い状態を何とかしたいと、いろいろやって来られたに違いないが
少なくともこの時には「感じる」ことができておられた。
とても辛かった状態が、やり方次第で取れることが実感できたのが
私の想定内を超えた。
こういう心と体が「できる」ことをとらえる瞬間は
誰にもできる、と言えるし、誰にもいつもできる訳ではないとも言える。
ほんの少しずつとらえられて、段々に体が素直に感じられるようになる時もあるし
いつもそうではなくても、突然「わかる」(これは自分でも自覚はないけれども)
時もある。
それぞれ、体や心の状態も環境も違う。
人それぞれである。
いっぺんでとらえられたら羨ましいが
毎回そうなるかどうかは、わからない。
絶対来ないとも言えない。
これはそれぞれのタイミングなのだ。
それぞれができる経過を辿ってみるしかない。
他の皆さんが、目を丸くして羨ましがられる中
颯爽と、とてもいい笑顔で
「遠くて、電車の時間があるのでお先に♡」
と、足取り軽く帰られた。