第1回無為塾(講演会&詩集読書会) 終了しました!
7月12日(日)は第5回無為塾を開催しました。
今回のテーマは「40歳からは、役割を脱いで自分らしく〜思い込みを手放して『無為自然』に人生を楽しむ」です。
無為塾とは
「無為」とは、余計なことはしないで自然のままににお任せしていきましょうという心のありようを言います。
私自身、不登校や発達障がいの子の家庭教師やご両親からの相談を受ける中で、「直そうとしないで、子どもに任す」とかえって学校に通えるようになったり、特性による困りごとがなくなったりすることを実際に目の当たりにして「無為」の効果を実感していました。
これは子育てだけではなく仕事でも人生でも同じであるように思います。
自分がコントロールするより自然に任せたほうが上手くいく。努力して頑張るより、肩の力を抜いてリラックスした方がいい結果につながる。真面目に深刻に考えるより遊び心で楽しんでやった方がうまくいく。そういった「無為」の素晴らしさを皆さんにお伝えしていきたいと思ったのが無為塾を始めるきっかけです。
40歳からは、役割を脱いで自分らしく
心の成長と発達課題
(年齢) (発達課題)
0〜2歳 基本的信頼感の獲得
(乳児期) (世界は信じられる)
3〜6歳 自己肯定感の獲得
(幼児期) (自分は信じられる)
7〜12歳 社会適応性の獲得
(児童期) (褒められたい)
13〜17歳 精神的自立の獲得
(思春期) (自我の目覚め)
18〜29歳 社会的自立の獲得
(青年期) (自分と他者との調和)
30〜45歳 社会適格性の獲得
(成人前期)(社会的役割の確立)
46〜60歳 人生の危機と問い
(成人中期)(このままでいいのか?)
61〜75歳 自己実現
(成人後期)(自分らしく生きる)
76歳〜 自己超越
(遊行期) (無為自然、上善如水)
(マイベストプロ神戸「長谷川満」のコラム記事より)
この資料の「成人前期(30〜45歳)」までは全て「〇〇の獲得」となっていますね。
つまり人間は45歳までに資格を身につけ、職業を身につけ、社会的役割を身につける、といった積み上げていく人生、獲得していく人生を歩んでいます。
幸運にもそれらの課題をクリアし、一人前の社会人としてその役割を全うされている方には次の発達課題がやってきます。
それが「成人中期(46〜60歳)」の発達課題「このままでいいのか?」という自分自身の人生に対する問いかけです。
この時期のキーワードは、「死」、「許す」、「放す」 です。
この時期に自我(自分の考え、信念、価値観)の殻を破って自己実現しようと頑張るんですね。自己実現は40代以降の悩みを通して達成されます。40代以降の悩みとはどのようなものがあるでしょうか。
子どもの不登校や親の死、失業や事業の失敗、病気や事故、夫婦不和などの悩みがあります。
自我の殻が破られて自己実現できる
こういう40代以降の問題というのは努力では解決しないことが多いです。
この時期の問題はとにかく頭で考えたことや努力が通用せず「もうどうしたらいいかわからない」ということが多いのです。だから、そういう方(子どもの不登校でどうしたらいいかわからない親御様)が私の「見方が変わる相談室」にもよく来られます。
そして不登校の状態が重症であればあるほど、困り切っていればいるほど、絶望していればいるほど、その問題はきれいに解決します。自分の頭で考えて、まだなんとかしようと思っている人は解決しません。
絶望して、どうしたらいいかわからなくて、とりあえず長谷川先生のいう通りにしてみます、という人は解決するんですね。
なぜか?
そこで自我(自分の考え、信念、価値観)を手放せるからです。
この図を見てください。
真ん中の「自我(13〜60歳)」は命を包んで守っている卵の白身と殻のように見えますね。
事実そうなんです。自我は殻となってあなたを守ってきたのです。
でも、あなたを守る殻である自我は45歳を過ぎたあたりから、自己実現を阻むものとなってしまいます。
かつてあなたが社会生活で身につけた処世術や信念や価値観、それはあなたの大きな助けとなりました。でも、いつまでもそれを大事に抱えているわけにはいきません。その先へ成長し「自己実現」していかなければなりません。それを邪魔するものが自我なのです。
なぜなら自我はあなたを守ることを使命としています。自己実現するには危険が伴います。そんな危険な挑戦を自我は許さないのです。その自我を超えていくことが成人中期:45歳〜60歳の課題「人生の危機と問い」なのです。
自己実現するためには自我が「私にはどうすることも出来ません」と降伏(こうふく)する必要があります。
自我が降伏すると幸福(こうふく)の扉が開かれ、自己実現へとつながっていきます。
心の構造:自我と自己
では皆さん、次にこの資料をご覧ください。
心というのは大きく分けて自我と自己に分けられます。
自我というのは自分の考え、信念、価値観でちゃんと意識できている部分です。
自己というのは意識だけでなく、無意識も含めた心の全体性です。
無意識とは、抑圧した自分、忘れたつもりの自分、自分が知らない自分のことです。
例えて言えば自我は政府、自己は国民です。
国民(自己)が全体であるのに対して、政府(自我)はその一部に過ぎませんが、国の方針を決定しているのは政府(自我)です。
この政府(自我)がずーっと意思決定権を持っていては自己実現は叶いません。なぜなら自己実現とは、今まで抑圧してきた自分も、忘れてきた自分も、今まで知らなかった自分も全部ひっくるめて自分らしく生きることだからです。それは国民全員(自分の好きな部分も嫌いな部分も)が抑圧されることなく、等しく尊重されることです。
これがなかなか困難なんです。
政府(自我)は、いかに自分を安全に保つか、いかに政権維持(現状維持)するかが至上命題ですから、なかなか今まで通りの考え方、信念、価値観を手放そうとしません。当たり前です。それは自我が自我を否定することだからです。だから、今まで通りの考え方を手放すのは本当に勇気がいることです。
今までの自分の考え、信念、価値観を手放す
それを手放すということは、今まで人生をコントロールしていたハンドルから手を放すということです。この手を放すという行為が「無為」ですね。自然に任す、というのは自分でコントロールするのをやめるということです。そうすると不思議なんですが上手くいきだします。不登校でもね、「直そう、直そう」とあの手この手をでやっている間は上手くいかないものです。でも、「もう学校行かんでもええわ」と開き直ったら学校行くようになったりするんです。
でも自分から無為になれる人は稀です。大概はどうしようもなくなって「もうええわ!好きにして!」と開き直ったら、それが無為になってたというのが多いです。
中学生の娘さんの不登校で悩んでおられたお母さんがおられました。そのお母さんは大変な心配性で、娘さんの不登校についてもその過度な心配性が悪影響を及ぼしている感じがありました。何度となく「無為になりましょう、自然に任せましょう」とアドバイスしていましたが、長年の心配性はそう簡単には変わりません。ある日は私は「心配性のままでいいですよ」と言ったんです。そうすると、その方の心配性が直ったばかりか、不登校の娘さんが学校に通えるようになり、自分の気持ちを先生や友達にも伝えられるようになったんですね。
完璧な人間ではなく、自分らしい自分
スイスの心理学者ユングは、自己実現とは完璧な人間になることではなく、自分の弱さやダメなところも全て受け入れた人間(自分らしい自分)になることだと言っています。ユングは40歳までの人間の目標は「より良い社会人になること」(社会適応)だと考えました。そして40歳以降の人間の目標は「自分自身になること」だと考えました。
それに目覚めさせるために40代以降の「中年の危機」が訪れるのだとユングは言いました。
「中年の危機」の4つのパターン
中年の危機には4つのパターンがあります。
1.アイデンティティの崩壊
それまで自分を支えていた「役割」が失われることです。
・子どもの不登校で「良い母親」ではなくなってしまった。
・失業して「一家の大黒柱」ではなくなってしまった。
・事業が失敗して「成功者」ではなくなってしまった。
・離婚を突きつけられ「良き夫」ではなくなってしまった。
冬季オリンピック、フィギュアスケートペアで金メダルを取った「りくりゅうペア」の木原龍一選手は、今までずっと三浦璃来選手を支えてきた頼り甲斐のあるお兄ちゃんでした。それが彼のアイデンティティだったんですね。でも今回のオリンピックのショートプログラムでミスが出てしまった。それにショックを受けた木原龍一選手はそれ以降ずーっと泣きっぱなしでフリー当日の公式練習でさえもまだ泣いていたそうです。
公式練習が終わった直後、三浦璃来選手は「大丈夫。まだ終わっていない。私、今日は龍一くんのために滑るね。」と声をかけました。その言葉を聞いた瞬間、木原龍一選手はハッと我に返って「僕も璃来ちゃんのために滑るよ。」と気持ちが完全に前向きに切り替わりました。
ショートプログラムでのミス。りくりゅうペアにとって今回のオリンピックは金メダルを取る最大のチャンスでした。そこで致命的なミスが出てしまった。木原龍一選手の精神は限界を超え、涙が止まらなくなりました。そんな彼を支えたのがパートナーの三浦璃来選手でした。全く今までとは立場が逆転してしまいました。
私はこのことが二人の絆を深めたことはもちろんですが、それ以上に木原龍一選手にとって「三浦璃来選手を支える頼り甲斐のあるお兄ちゃん」というアイデンティティが崩壊して、「頼りない泣き虫のお兄ちゃん」になることにより、自分がいかに三浦璃来選手に支えられ、励まされやってきたかを再確認したことと思います。
自分は必死で支えてきたつもりだったけれど、本当は自分が支えてもらっていたんだ。この認識の転換が起こる。これこそがアイデンティティの崩壊による自己実現への目覚めとなるのです。「頼りない泣き虫のお兄ちゃん」をも統合することにより木原龍一選手はより思いやり深く、そして弱さを受け入れたからこそ「しなやかな強さ」や周りへの感謝の気づきを手に入れられたのではないかと思います。
2.親の死、自らの病気や老い
40代以降は当然のことながら親の死を経験することになります。そこで大きな喪失感に見舞われ鬱になってしまう人もいます。
また自分も仕事や子どものことで鬱になることもあるでしょう。また病気が見つかったりして、それで落ち込むこともあるでしょう。
そのくらいの年齢になると体力的にも容姿的にも老いを感じます。それに抗うようにマラソンや筋トレ、美容やヨガを始めるかもしれません。
「親の死」や「自らの病気や老い」。これは一見マイナスなことのように見えますが、これを意識することにより「自分は死にゆく存在である。自分の人生はこれでいいのだろうか。何かし残したことはないのか。」と自問自答するようになります。それが自分の新しい可能性の扉を開くこともあります。上に挙げたマラソンや筋トレ、美容やヨガもその可能性の扉になることもあります。
私の京都の友人でこの40代でひどい鬱になった女性がいました。彼女はその回復の過程でおばあちゃんと行った旅行が楽しかったことを思い出します。また京都の思い出ある色々な場所を訪ねて心を癒していきます。彼女は自身が鬱になった経験からカウンセラーの勉強もしていきます。
そして彼女はそれらの経験を一つの職業として結実しました。京都のプライベート旅専門の旅行社「京都癒しの旅」を起業し、その数年後には京都の旅のエッセイ集「京都癒しの旅」を商業出版しました。今も元気に京都の穴場スポットをプライベート旅で案内しておられます。
3.人間関係の悩み
人間関係の悩みも40代以降では深刻です。
・職場にどうしても耐え難いストレスになる人がいる。
・同居の姑の面倒は一切見ないと妻に宣言された。
・夫婦関係が冷え切っていて会話がほぼない状態である。
・自分の親や兄弟が許せない。
こうした問題を通じてユングの言う「自分の影(シャドー)」と直面し、それを許し、受け入れることで自己実現の扉が開かれることもあります。
4.何かにどハマりしてしまう
40代以降にコントロールできないほどに何かに極端にのめり込んでしまうということがあります。それ自体は悪いことではないのですが、金銭面でそれが行き過ぎると夫婦関係もおかしくなりますし、体力的にも時間的にも経済的にも過度に負担になっていてもどんどんのめり込んでしまうようなら、それはやはり中年の危機と呼ぶべきものです。
それが健全な趣味かどうかについては、月2万円の出費を超えないというのが一つの基準となります。
・トライアスロン、ボディビル、美容、健康
・車とかバイクのカスタム、カメラ、趣味
・推し活、追っかけ
・ギャンブル、アルコール、夜のお店でのお付き合い
・宗教、スピリチュアル
これらにどハマりすること自体は悪くありません。むしろ自分の新しい可能性を開いてくれたり、自己実現の扉になることもあるくらいです。しかし、宗教にあり得ない額のお布施をしたり、スピリチュアルにのめり込んで啓発セミナーに高額を注ぎ込んだりすれば、それはやはり中年の危機となります。
ただ、それらの依存から抜け出した後、そうなってしまう自分と真摯に向き合い、自分の弱さや過去の傷や満たされなかった思いを受け入れられるようになれば、それは自己実現へとつながっていきます。
また、それらのどハマりしている趣味を続ける中で、今まで生きてこられなかった自分(抑圧した自分、忘れていた自分)を十分に生きているのなら、それもまた自己実現の一つと見ていいと思います。
まとめ
40代以降に出会う悩みや問題は、自我の殻を破り自己実現していくために起こるのだ、ということを色々な角度から解説していきました。
40代以降に直面する悩み、例えば子どもの不登校や離婚、親の死や鬱、病気、失業などは自らのアイデンティティを崩壊させる程の危機となり得ます。実際にそれがあまりにも辛いことなのでアルコールに逃げたりする人もいるでしょう。でも、逃げることなく「肩書きや立場や面目を無くした自分」をただ見つめた時、見えてくるものがあります。
一生懸命に努力してきた自分。成功し自信満々な自分。思い通りにならず苦しかった自分。怖くて逃げ出したい自分。不安を誤魔化してきた自分。そんな自分を思い返した時、必死で頑張っていたんだなあ、無理していたんだなあ、我慢していたんだなあ、と自分に「もういいんだよ。よく頑張ったね。」と声をかけたくなります。
その時、あなたは初めてありのままの自分を見て、ありのままの自分を許し、ありのままの自分を受け入れられたのです。
それが自己実現の入り口に立ったということです。
絶望は自己実現の母です。
絶望し、開き直った時、新しい扉が開かれます。
もう不自然なことはしなくなります。
不思議と気が楽になります。
気がつけば自分の好きなことを始めています。
おめでとうございます!
あなたが今感じている自由さ。
それが自己実現した気分なのです。


