【カスハラ対策】対応記録を従業員に書かせる|労務管理とプライバシーの線
「そちらにも問題があったのだから、これくらいは当然だ」と言われると、返す言葉が見つからないまま話が進んでいくことがあります。こちらに思い当たる点があるときほど、相手の言い値をそのまま受け入れてしまいやすくなります。
一方で、落ち着いて経緯をたどると、要求してきている側にも気になる点が見つかることがあります。連絡すると言った日に連絡が来なかった、こちらの説明を聞かずに使い続けた、預かった物を返してくれない、途中から話の内容が変わっている、といった事情です。
もっとも、「相手にも非がある」という言い分は、そのままでは交渉の材料になりにくいものです。その落ち度がどこに向かうのかを先に分けておくと、ただ言い返すのではなく、こちらから条件を出す形に組み替えられることがあります。この記事では、相手の落ち度の置き場所と、条件を出せる場面の考え方を整理します。
この記事で扱うこと・扱わないこと
- 扱うのは、金銭や対応を求められている側が、相手側の落ち度をどう位置づけられるかという整理です。
- 扱うのは、支払うかどうかの二択ではなく、こちらから条件を付けた提案を出す場面の考え方です。
- 扱わないのは、その要求が不当要求にあたるかどうかの判定枠組みです。別の記事で扱っています。
- 扱わないのは、こちらに落ち度がある場合に請求額の範囲をどう測るかという各論です。こちらも別の記事で扱っています。
- 扱わないのは、合意書や示談書の条項の具体的な書き方です。
なお、相手の言い分に正当な部分が含まれていることは珍しくありません。正当な部分まで拒むことを勧める趣旨ではなく、正当な部分と、そうとは言い切れない部分を分けるための整理です。
「相手にも落ち度がある」は三つに分かれる
同じ「相手にも非がある」という言葉でも、中身は大きく三つに分かれます。分けないまま持ち出すと、話が噛み合わないまま感情の応酬になりやすくなります。
| 落ち度の種類 | よく挙げられる例 | 向かう先 |
|---|---|---|
| 要求の中身に関わるもの | 不具合を伝えたのに使い続けて損害が広がった、確認の求めに応じない | 請求できる金額の範囲 |
| 要求の通し方に関わるもの | 深夜に繰り返し連絡してくる、職場に来ると告げる | 交渉の場の設定と、記録の残し方 |
| 要求とは別の場面のもの | 預けた物が返ってこない、別の取引の代金が未払いのまま | こちらからの請求と、出せる条件 |
この記事が中心に扱うのは、1行目と3行目です。2行目の通し方の問題は、要求の内容が正当かどうかとは別の軸で評価されるもので、場所や時間、窓口の決め方といった別の論点になります。
相手の落ち度が金額に効く仕組み
過失相殺は「額」を動かす規定
損害賠償を求められている場面では、民法722条2項が「被害者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる」と定めています。請求してきた側にも損害の発生や拡大について落ち度があるなら、賠償の額を決めるときに考慮される余地があるという建て付けです。
ここで押さえておきたいのは、この規定が額を定めるための規定であって、責任があるかどうかを決める規定ではないという点です。相手に落ち度があっても、それだけで支払義務そのものが消えるわけではありません。
契約上の責任を問われている場合は建て付けが違う
同じ「落ち度」でも、契約の不履行を理由に賠償を求められている場面では、民法418条が働きます。こちらは「債権者に過失があったときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の責任及びその額を定める」という形で、額だけでなく責任そのものについても考慮する規定になっています。
つまり、契約に基づく請求か、契約とは関係のない加害行為に基づく請求かによって、相手の落ち度が届く範囲が変わりえます。同じ出来事でも両方の構成が考えられることがあるため、相手の書面がどちらの立て方をしているのかを読み分けておくと、こちらの応答も組み立てやすくなります。
「3割の非があるから3割引き」とは限らない
交渉の場では、割合の話が先に出てくることがあります。ただ、割合が定型的に決まっているのは交通事故のように類型が積み上がっている分野が中心で、そうでない場面では、落ち度がどの程度損害に結びついたのかを個別に見ることになります。
また、相手に落ち度があったという点は、それを主張する側、つまり請求を受けている側が具体的に示していくことになります。「そちらにも問題があった」とだけ述べても、金額の話としては動きにくいのが実際のところです。いつ、どの行動が、どの損害につながったのかまで言えるかどうかが分かれ目になります。
支払義務そのものがなくなる場面は限られる
相手の落ち度が大きいときほど、「では払わなくてよいはずだ」という結論に飛びたくなります。しかし、支払義務の有無が動くのは、そもそも請求の法的な根拠が見当たらない場合や、契約上の責任について相手の落ち度が責任そのものに及ぶと評価される場合など、限られた場面です。
多くの事案では、争点は「払うか払わないか」ではなく「いくらを、どのような条件で」に移ります。落ち度の主張も、この土俵の上に置いたほうが機能しやすくなります。
こちらから条件を出せる場面
交渉は、相手の要求に対して諾否を答えるだけの場ではありません。こちらの側にも相手に求められることがあるなら、それを条件として組み込んだ対案を出すことができます。代表的な場面を整理します。
| 場面 | こちらから出せる条件の例 | 考え方の手がかり |
|---|---|---|
| 相手にも果たしていない約束がある | 物の返却や書面の交付と引き換えにする | 互いに債務を負う契約では、相手の履行があるまで自分の履行を拒める場合がある(民法533条) |
| こちらも相手に請求できるものがある | 支払額から差し引く形を提案する | 互いに金銭の債権があるときの相殺(民法505条)。ただし差引きが認められない債務もある(民法509条) |
| 受け取った物やサービスが約束と違っていた | やり直しや代金の減額を求める | 追完の請求(民法562条)と、期間を定めた催告を経た代金の減額(民法563条) |
| 一度にまとまった額を払うことが難しい | 回数・期日・振込方法を決める | 支払方法は当事者の合意で定められる |
| 同じ話を蒸し返されたくない | 終わらせ方を書面に残す | 争いをやめるための合意(民法695条・696条) |
このうち差引きについては、注意点があります。民法509条は、悪意による不法行為に基づく賠償の債務と、人の生命または身体の侵害による賠償の債務については、差引きを主張できないとしています。けがをさせてしまった場面などでは、こちらに貸金があっても差し引く形は取りにくいということです。
また、条件を出すことと、要求を値切ることは違います。条件は、こちらが何かを得るための取引材料というより、支払いや対応の前提を確かめるための手続として組み立てたほうが、相手にも受け入れられやすくなります。
条件の出し方
認める部分と争う部分を分けて伝える
落ち度を指摘されている場面で条件を出すと、話をそらしていると受け取られることがあります。そこで、こちらに問題があったと考えている点は先に述べ、そのうえで、金額や条件については別に検討したいという順序にしておくと、意図が伝わりやすくなります。
事実についてお詫びを述べることと、相手が主張する金額や責任の範囲を認めることは、法律上は別の事柄です。この二つが混ざらない書き方を意識しておくと、後の交渉でも足元が揺れにくくなります。
「引き換え」の形にしておく
条件を伝えていても、先に支払いだけを済ませてしまうと、あとから残りの条件を求めるのは難しくなります。返却、削除、書面の取り交わしといった相手側の対応がある場合は、支払いと同じ場面で行う形にしておくと、後から求め直す手間を避けやすくなります。
当日の受け渡しが難しいときは、振込日と相手の対応の期限を同じ日に置く、あるいは相手の対応を確認してから振り込むといった順序をあらかじめ書面で決めておく方法もあります。
口頭で終わらせない
条件は、口頭のやり取りだけでは残りません。金額、支払期日、方法、相手にしてもらうこと、その期限、連絡の窓口までを、簡潔でよいので文字にしておきます。
やり取りの手段も、後から見返せる形を選んでおくと安心です。電話中心で進んでいる場合は、話した内容を短くメッセージで送り返しておくだけでも、記録の性質が変わります。
持ち出さないほうがよい落ち度
要求と関係のない事情
相手の私生活や過去の別のトラブルなど、今回の要求と結びつかない事情を持ち出しても、金額や条件の話としては働きません。それどころか、話が長引き、相手の態度を硬くする要因になりがちです。
「言わないでおく」という形にすること
相手の落ち度を、公にしない代わりに要求を取り下げてほしい、という形で使うことは避けたほうがよい場面です。伝え方によっては、こちらの側の行為が別の問題として評価される余地が出てきます。相手の落ち度は、要求の当否を検討する材料として正面から述べる形にとどめるのが無難です。
述べることでこちらの立場が動く事情
相手の落ち度を説明するために、こちらの側の経緯まで細かく述べると、争うつもりのなかった点まで認めた形になることがあります。何を述べると何が確定するのかは、その場では見えにくいものです。判断に迷う点は、その場で答えず持ち帰る選択もあります。
材料はどちらの手元にあるか
相手の落ち度を主張しようとしたときに行き当たるのが、裏づけの所在です。相手がいつ何をしたかという記録は、多くの場合、相手の側にしか残っていません。
- こちらの手元に残りやすいもの=相手から届いたメッセージ、通知書、振込の記録、こちらが送った連絡の控え。
- 残りにくいもの=対面や電話でのやり取りの中身、相手が何をしなかったかという事実。
- 早い段階で用意しておきたいもの=出来事の時系列を書いた覚書、相手とのやり取りの日付が分かる画面の保存。
- 覚書は記憶が新しいうちに書いたものほど扱いやすく、後から作り直したものは日付の説明が難しくなる。
「相手が何もしなかった」ことは、性質上、記録に残りません。そのため、こちらが求めた事実のほうを残しておくことが手がかりになります。返却や説明を求めた連絡が残っていれば、それに応答がなかったことを示す材料になりえます。
よくあるご質問
相手にも非があるので払わない、と伝えてよいですか
伝えること自体が禁じられているわけではありませんが、落ち度の種類によって届く先が違います。要求の中身に関わる落ち度であれば金額の話につながりますが、別の場面の落ち度は、支払いを止める理由としては働きにくいのが通常です。「支払わない」ではなく「この点を確認したうえで検討したい」という形にしておくと、後の選択肢を狭めずに済みます。
相手に貸しがあるので、その分を差し引くと伝えてよいですか
互いに金銭の債権があるときは、差引きを提案すること自体は考えられます。ただし、民法509条により差引きを主張できない債務があること、また金額そのものが争いになっている段階では差引きの前提が固まっていないことに注意が必要です。実務上は、差引き後の金額だけを一方的に振り込むより、差引きの内容を書面で示して合意する形のほうが、後の争いを残しにくくなります。
条件を出したら「誠意がない」と言われました
条件を示すことは、交渉の当然の一部です。ただ、条件だけを先に並べると、相手の受け止めが硬くなることはあります。こちらが問題だと考えている点を先に述べ、条件については理由を添えて書面で示すという順序にすると、意図が伝わりやすくなります。それでも話が進まない場合は、当事者同士のやり取りを続けるかどうかを含めて検討する場面です。
まとめ
- 「相手にも非がある」は、要求の中身に関わる落ち度、通し方に関わる落ち度、別の場面の落ち度の三つに分かれる。
- 損害賠償を求められている場面では、相手の落ち度は民法722条2項により額を定める際に考慮される余地がある。
- 契約上の責任を問われている場面では、民法418条により責任そのものについても考慮されうる。
- 落ち度があったことは、それを主張する側が、どの行動がどの損害につながったのかまで示すことになる。
- 交渉では、諾否を答えるだけでなく、引き換えや差引き、支払方法といった条件を付した対案を出せる場面がある。
- 差引きには、民法509条のように認められない場合がある。
- 条件は口頭で終わらせず、金額・期日・相手にしてもらうこと・期限・窓口までを文字に残しておく。
- 要求と関係のない事情や、「公にしない代わりに」という形の持ち出し方は避けたほうがよい。
ご相談について
相手からの要求が続いている状況では、どこまでが応じるべき部分で、どこからが条件を出せる部分なのかを、その場で見極めるのは簡単ではありません。届いている書面ややり取りの記録を確認したうえで整理すると、次に取れる手が具体的になります。
弁護士法人若井綜合法律事務所では、金銭や対応を求められている場面についてのご相談を承っています。ご自身の対応に思い当たる点がある場合でも、経緯を伺ったうえで、どの部分を認め、どの部分をこちらから求められるのかを一緒に整理いたします。お一人で抱え込まれる前に、お早めにご相談ください。


